パレ・ド・バルブ 【杉田】 |
2006年5月更新 |
|
|
|
|
★「三月うさぎ」一号店のシェフが”故郷”の杉田で開いたフランス料理店★ |
宮内オーナー |
国道16号線をはさんで「らびすた新杉田」の向かい側、ローソンに2階にあるのが「パレ・ド・バルブ」。磯子区の誇るフランス料理店です。
中原で生まれのオーナー・宮内さんは日之出幼稚園・杉田小学校・浜中学校と進み、後に三月うさぎの第一号店「山下町本店」のシェフに。そしてラ・スリーズの横田社長と運命の出会い。後に独立して、ついに生まれ故郷の杉田のまちにパレ・ド・バルブを開店したのでした。中条シェフとの最強タッグにホール・スタッフの方たちも加わり、磯子区の人たちに素敵なフランス料理を提供してくださるのです。
そんなパレ・ド・バルブで特に人気が高いのが毎週水曜のスペシャル・ランチ! 2週先の予約が埋まってしまうほど好評なんだそうです。当日でも少し空きのある週がまれにはあるそうですが、そんなときも11:30の開店前からお店に行列ができてしまい、あっという間に満席になるとか。ということで、水曜のサービスを味わってみたい方は、とにかく早めのご予約をおすすめします。
ちなみに、宮内オーナーは現在では厨房を中条(ちゅうじょう)シェフにお任せし、ご自身は接客(ホール)に専念されています。お店の扉を開けると、オーナーが優しく温かい笑顔で迎えてくださるのです。
【パレ・ド・バルブ関連記事】
◇バルブ監修のメニューがコンビニに登場(期間終了)。予約困難な大人気のランチ・コンサートの模様もどうぞ |
|
↓写真をクリックすると、ミニ・アルバムが表示されます。クリックで次の写真に進みます(全6枚)。
|
※このページの情報は取材時点でのものです。サービス内容や料金は変更される可能性があります。最新の情報は直接お店にお問合せください。 |
お店情報 |
店名 |
パレ・ド・バルブ |
ジャンル |
フランス料理 |
住所 |
横浜市磯子区杉田1−9−13 |
電話 |
0120−298−173(フリーダイヤル) |
FAX |
045−773−2981 |
アクセス |
JR根岸線・シーサイドライン 新杉田駅より徒歩約2分
京急本線 杉田駅より徒歩約5分
地図はコチラ |
営業時間 |
[ランチ] 午前11:30〜午後2:30 (LO 午後1:30)
[ディナー] 午後5:30〜10:00 (LO 午後9:00) |
※LO=ラスト・オーダー |
定休日 |
毎週月曜日 (その他、お盆・年末年始はお休み) |
人気メニュー |
コース系
○ランチ「バルブのお勧めコースメニュー」 詳しくはコチラ
○ディナー「バルブコースB」(2名様より) 詳しくはコチラ
○水曜日のみのスペシャル・ランチ 詳しくはコチラ
アラカルト系(ディナー・タイムのみ)
○子羊、鴨の料理全般
○パスタ「ズワイガニのトマトクリーム」
○パスタ「湘南しらす、生のり風味」
○パスタ「生ハムと菜の花の塩味」
●ある日のランチ・メニュー ●ある日のアラカルト・メニュー |
平均予算 |
ランチ:1,500円/1人
ディナー:4,000円/1人 |
席数 |
全50席 |
開店日 |
1998年3月3日 |
その他 |
駐車場:あり(お食事代3,000円以上で駐車無料)
※駐車場の場所はコチラの地図でご確認ください。
お子様連れ:OK
席の予約:可(無料)
貸切:可
クレジットカード:可 |
|
16号をはさんで、らびすたの向かい。
ローソンの2階です。入り口は左奥。
奥に見えるのはフランス国旗
飾るようになったのは比較的最近だとか。
宮内オーナーはライブハウス「日吉Nap」を
中心に活動するミュージシャンでもあります。
お店でCDも販売してます。 |
|
|
|
大事なのはすべて食べ終わったときに「おいしかった」と感じて頂けるかどうか |
|
宮内 重明(みやうち・しげあき)さん
45歳('60年生まれ)
出身:中原(磯子区)
磯子区歴:生まれたときからずっと
おすすめのお店:守茂(もりしげ)杉田支店(おそば屋さん) |
|
---パレ・ド・バルブの料理の特徴は?
宮(宮内オーナー):ソースに力を入れてます。それから各地の材料を、今だと宮崎の地鶏とかね。あと長野の小諸のじゃがいもとか、本当にいいものだけを探して取り寄せてます。リーズナブルな値段で提供することにもこだわってるんだけど、安いからっていって素材の質は落とさない。「リーズナブルだけど、いいものを」と心がけてますね。
中(中条シェフ):味付けの面でいうと、料理は一皿で終わるわけじゃないんで、すべて食べ終わったときに「おいしかった」って言って頂けるように、トータルで考えて味付けをしています。
宮:そうだね、基本は気持ち薄めにする。ただ、前菜みたいに一口で終わっちゃうお料理はハッキリした味つけにします。そういうバランス、メリハリが大切なんですよ。そこでおそらくほとんど決まるでしょうね、そのお店がおいしいと感じるかどうかは。料理人が単品で味見をしておいしいからそれでOKかっていうと、そうじゃないんですよね。その辺の微妙なバランスに気を配るようにしています。
あとうちのシェフはね、技術的なことを言うと、カモとか子羊を焼くのがすごく上手ですね。自分からはなかなかそうは言わないんだけど。ですから、ディナーでいらっしゃるときには、ぜひオーダーしてみてください。
---見た目もおいしそうなお料理が多いですね。
宮:視覚も「おいしい」ための大事な要素ですから、気を使ってます。色のあざやかさだったり、盛り付けのしかただったり、それも料理の一部ですね。料理をお客様のテーブルまでお持ちしたときに「うわーっ、おいしそう!」って言って頂けるように。
それから見た目の話とはちょっと違うんだけど、ウチでは、和食の懐石料理的なものを意識してオードブルを一口サイズにしてます。ねぇシェフ、もともとのフランス料理はそういう風にはあまりしないよね。
中:ああいう入りはイタリアンが普通ですね。
宮:アンティ・パスト的なね。だからうちはフレンチがベースではあるけれども、そこにこだわり過ぎないように。大切なのはお客様にお食事を楽しんで頂くことですから、新しいことにも積極的に取り組んでいこうと思ってます。
---グランド・メニューは季節によって変わるんですか?
宮:お客さんにも「メニューください」ってよく言われるんですけど、うちは紙に書いてある固定メニューは無いんです。黒板がメニューなんですよ。その日、その日に仕入れた最高の食材を元にメニューを考えて、黒板に書いていくんです。
---お客様にとっては、来店する楽しみがあるわけですね?
宮:そうですね。逆にそれだと選ぶの難しい、迷ってしまう、そういうお客様には、好みとかその日の気分を言って頂ければ、私がおすすめをチョイスしますので、気軽に声をかけてください。もちろん、まるごとお任せでも大丈夫です(笑)。
---これから初夏に向けて季節のおすすめは?
宮:シェフ、おすすめは?
中:アーティチョーク(朝鮮アザミ)ですかね。
宮:アザミの花芯ですね。われわれではフォンって言って、ベースになるっていうことなんだけど、そこを使ったお料理です。
中:あと野生のアスパラガスもおいしいですよ。
宮:アスペルジュ・ソバージュっていうんです。普通のアスパラより少し細身で、日本ではまだあまり知られていないんだけど、希少価値の高いアスパラガスです。
---ところで、宮内オーナーから見て、料理人としての中条シェフはどういう方ですか?
宮:素晴らしいと思いますよ。腕はもちろん、料理に対する思い入れ、気持ちも素晴らしい。クチ下手なんだけどさ(笑)。
あとね、最も基本的なことなんだけどなかなか実行できないことがあって、それは仕事に穴を開けちゃいけない、休んじゃいけないってことなんです。うちのシェフはね、店のオーブンが爆発して顔を怪我したときでもその翌日から仕事してんだもん(笑)。「いいから休め」って言ったのに。
---阪神タイガースの金本選手みたいですね。
宮:そうそう(笑)。ほんとほんと。
---中条シェフの目指すお料理は?
中:毎日食べても飽きないようなものですね。マカロニ・グラタンってフランス料理なんだけど、日本では普通の洋食として浸透してますよね。そういう風に「これがフランス料理なの?」って思われるようなものを出していきたいです。
フランス料理ってテーブル・マナーとかで敷居が高いイメージがあると思いますけど、ウチには気軽に来て頂きたいんです。お箸で食べてもらってもいいし、食べやすいのであれば手で食べてもらってもいいし。周りの人に迷惑をかけず、自分が楽しく食べられるなら、それが一番のテーブル・マナーだと思うんですよ。
---フランス料理ってフォークとナイフは端から使っていくとか、そういうのを良く聞きますけど?
中:いやー、その人が真ん中のフォークを使いたければ、使っても全然問題ないですよ。そのためにホールでサービスをする人間がいるわけですから。フォークやナイフが足りなくなったら持ってきてくれる、それがサービス。ただ料理を運ぶだけがサービスだったら専門職はいらないです。
---読者の方にメッセージをお願いします。
中:ぜひ、お気軽に足を運んでください。夜だとやっぱりメイン・ディッシュのお肉料理・お魚料理はぜひ食べて頂きたいですね。それから作った料理は可能な限りスピーディーにテーブルまでお届けするように心がけていますので、できたてのおいしさを味わってください。やっぱり、お料理はできたてが一番おいしいので。 |
|
宮内オーナーとフランス料理 〜高校を1ヶ月で辞めて料理の道へ〜 |
---料理の道に入ったのは?
宮:浜中を卒業してね、高校に入るまでの春休みに、レストランでアルバイトをしたんですよ。当時上大岡のダイエーの一番上にあった、レストランというか食堂だね。中華もあって洋食もあって。そこでコックさんの姿に魅せられちゃったんだよね。おっきいフライパンをふってる姿がかっこよくて。で、高校入ってからもその姿が忘れられなくてね、1ヶ月で高校辞めてオヤジと大喧嘩してこの道に入っちゃったんです。
---それはお父さんもびっくりしたでしょうね?
宮:そりゃー怒りますよね。うちのオヤジは当時からコンピュータに注目してて、「磯子工業に行って、蒲田の電子工学院に進んで、コンピュータ関係の仕事に就くといいぞ」って何度も言われた記憶があるのよ。ところが親不孝者でさ(笑)。
---で、高校を辞めてどこにお勤めに?
宮:平和島のアブニールっていうレストランを自分で探して就職しました。そこは洋食屋さんです。
---フランス料理に専念するきっかけは?
宮:三国清三さんのフランス料理店に食べに行ったんだよね。で、カルチャー・ショックというのか、「あー!
フランス料理ってすごい」って思って。そこからフレンチに転向したんです。まだ、一般店のフレンチが本当に少なくて、フランス料理といえばホテルっていう感じの頃ですね。
それからフランスや東京で修行して。横浜に来たのが25歳くらいだったかな。横浜では結構色んなお店で働きましたね。1989年の横浜博(YES)のときに今のマリタイム・ミュージアムがある場所で営業していたレストランとか、関内のフランス料理店にもいたし、そのほかにも色々・・・。
---そんな中でラ・スリーズの横田社長とお知り合いに?
宮:そうなんですよ。三月うさぎの一号店が山下町にあったんだけど、そこのシェフを僕がやってた時期ですね。横田さんと知り合って、根岸にラ・スリーズがあったんだけど、そこを手伝ってくれないかって呼ばれたんですよ。僕は地元に貢献したいなっていう思いを前から持ってたんで、いい機会だということで横田さんのところに役員兼シェフとして入ったんですよ。
---それで地元である磯子区に戻ってきたんですね。
それで根岸店で3年くらい経った頃かな、横田さんが「宮内さん、独立してみたら」っておっしゃってくれて。で、ラ・スリーズをそのまんま譲り受ける形で、初めて自分のお店を持ったの。その時点で横田さんのお店と名前は一緒だけど、経営は別になったわけです。横田さんのところはケーキのラ・スリーズ。僕のところはフランス料理のラ・スリーズ、そういう形でね。
---東戸塚のビストロ・バルブは?
宮:オープンは1996年かな。その後、根岸のラ・スリーズを「バルブの食卓」っていう名前で、再オープンしたんだけど、いろいろあって1年半くらいで閉めちゃったんですよ。ただ、ホームページのほうは都合で更新できなくなっちゃってて、今でも「バルブの食卓」の情報が残っちゃってるんだけどね。
---杉田のパレ・ド・バルブをオープンしたのはいつですか?
1998年ですね。フランス料理店は、当時の杉田ではまだ無理だった。『らびすた』の影も形も無くてね。杉田にフレンチは似合わないっていろんな人からさんざん言われちゃって(笑)。それで開店当初はパスタをメインに据えたんですよ。だから今でもうちの店をイタリア料理店だと思ってるお客さんもいらっしゃいますよ。ただ、それはそれでいいんです(笑)。そこにすごいこだわりがあるわけではないから。 |
|
これがオススメ! パレ・ド・バルブのランチ・コース |
宮:ランチ・タイムはコースに特に力を入れています。「昼ごはんはバーッと短時間で食べてバーッと帰る」っていうのもいいんだけどね、たまにはゆっくり時間をかけて食事をして頂きたいですね。
ということで、ある日のランチ・コースを、またまたアルバム形式で紹介いたします。クリックするとお料理の説明も表示されます。
(※これは一例です。メニューは日によって異なります。メインディッシュは数品の中から選べます。また、コースには写真の3皿のほかに、手作りパンとコーヒーか紅茶が付きます)
|
|
中条シェフのあゆみ 〜富山生まれ、関西経由で横浜へ〜 |
|
中条 義則(ちゅうじょう・よしのり)さん
40歳('65年生まれ)
出身:富山県高岡市
磯子区歴:約1年前から職場になりました。
おすすめスポット:仕事が忙しくてまだ探す時間がありません。 |
|
宮内オーナーの全幅の信頼を得てパレ・ド・バルブの厨房を仕切るのが中条義則シェフ。その語り口調は朴訥でまさに職人気質。
---ご出身は?
富山です。高校卒業までいました。高岡市っていうところで、冬は雪が多くて寒い。そのくせ、夏は暑いんですよ(笑)。ヘタすると横浜より暑いかもしれない。
---高校を出てからは?
大阪の料理の専門学校に行ってフランス料理を勉強しました。
---どうして料理の専門学校を選んだんですか?
料理人が一番かっこよく見えたからです。
---じゃあ、宮内オーナーと一緒ですね。
だいたいそんなもんですよ(笑)。フランス料理のコックさんてかっこよく見えるじゃないですか。ただそれだけです。
---おつとめは最初は大阪で?
就職したのは神戸です。その後、東京に来て。それから湯河原に「ラ・シェネガ」っていうリゾート・ホテルができるっていうことで、そこのレストランに行きました。
---やってみてどうでしたか、フランス料理は?
どうだろう。わかんないですね、ほかの料理やってないから。
---思ったより大変だったりとか?
大変なのは大変ですよ。でも何をやっても一緒ですから。別に「フレンチだから」とか「和食だから」っていうのは無いんじゃないかな。
---横浜に来たキッカケは?
湯河原のレストランを辞めることになって、ちょうど、そのときに東戸塚のビストロ・バルブのほうでシェフを募集してたんですよ。それでたまたま(笑)偶然に。
---最初は湯河原から通ってたそうですね。
はい。この店で長く働くか決めてなかったんで、最初の半年ぐらいは湯河原から通ってました。決心ができてから横浜に越してきたんです。それで、6年くらいビストロ・バルブでシェフをやってから、パレ・ド・バルブに移って来ました。
---横浜市の印象は?
最初来るまでは、横浜って言ったら、みなとみらいと元町、中華街、横浜港、そんなイメージしか無かったですね。ほかの地域がどんなところなのか、まったくわからなかい。杉田とか東戸塚とか全然。上大岡とかも全然知りませんでしたし。
だからビストロ・バルブに最初の面接に行くときもね、湯河原から東戸塚に行くのに東海道線に乗ってたら、電車が停まらないんで「あれー!?」って(笑)。戸塚で横須賀線に乗り換えなきゃいけないのを知らなかった。
---杉田の街に欲しいものはありますか?
ちょっと健全すぎるんで(笑)、少しだけ遊べるお店があるといいですね。もっともっといろんなおもしろいお店ができるといいかな。
---いまご家族構成は?
一人暮らしです。ヨメさん募集してます。誰かいたらお願いします!(笑)好みのタイプは・・・年下がいいですね。若ければ若いほどいいです!
と、ここで宮内オーナーが登場。「おいおい! そんな贅沢言ってていいのか(笑)。自分の歳考えろよ!」だそうです。 |
|
オーナーとシェフが知り合った頃・・・ |
取材日には偶然、二人の女性が店内にいらっしゃいました。かつてパレ・ド・バルブでアルバイトしていたそらさんと、現在アルバイト中のはるかさん。「そらちゃんはね、パレ・ド・バルブが忙しくなって男二人ではもうどうにもならない、って初めて雇ったアルバイトの子。今働いてもらってるはるかちゃんは浜中出身でさ。おれの30年後輩なの。30年だよ!?
驚くね(笑)」と宮内オーナー。そんな、お二人に見守られながら、オーナーとシェフが知り合った頃の話を伺いました。
---お二人の出会いは?
宮:中条シェフが東戸塚店に面接に来た日だね。あのときは「ど・コンプレ」でね。コンプレっていうのは満員っていうことなんだけど。シェフ、どのくらい待ったっけ?
中:ビール一杯で3時間待たされました。(一同爆笑)
宮:面接するのに3時間待ち。(笑)
中:その頃には夜の9時くらいになってたんですけど、だったら最初から9時に来いって言って欲しかった(笑)。
---お二人の第一印象は?
宮:あのねぇ。最初は正直ねぇ、ちょっとむさっくるしいかなーっていう。(笑)
中:こっちもそう思いましたよ! だってそれまでロン毛のシェフに会ったことなんてなかったですもん。(笑)
宮:(笑)確かにフレンチにはいないね。イタリアンでは最近多くなってきたけど、フランス料理ではあまりいないだろうね。
---今はだいぶ変わりましたか?
中:僕は見た目は若い頃とあんまり変わってないですよね。
宮:よく言うよ。あっちこっち変わったよ(笑)。おれのが変わってないよ! ・・・あ、いや俺も変わったね。髪が白くなっちゃったもんね。5年前は素晴らしいツヤのある黒髪でねぇ(笑)。だっておばあちゃんのお客さまがね、俺のヒゲをこうやってさわって拝んでたもん。これホントの話。ウソじゃないんだよ。マジメな話。すごかったよ。
|
|
宮内オーナーのプライベートに迫る 〜スター誕生への応募歴発覚!〜 |
---オーナーは生まれたときから磯子区ですか?
宮:そうです。中原です。オヤジがIHI(石川島播磨重工業)で働いてた関係で。で、僕は産婆さんで生まれたんだよ。もちろん、当時も産院はあったらしいけどね、杉田とか中原とかこの辺の人はお産婆さんでっていう人が多いみたい。6歳のときに上中里に引っ越して、今でも上中里に住んでます。
---宮内さん、子どもの頃はどんなお子さんでした?
宮:すっごい控えめだったんですよ。信じられないくらい(笑)。僕、今は無くなってしまったけど、日之出幼稚園だったんですね。で、木登りの時間とかあったんだけど、そういうときも僕はひとりで下で見てましたから。そのくらい内気だったんですよね。それを型破りさせてくれたのが仲の良かった友達。杉田小学校の4年生のときね、その友達と初めてケンカしたんだよね。友達が「俺はお前を素手で殴る、お前はどうする?」って言ってきて。そこで「俺はキックだ!」って言い返したんだよね(笑)。で、子どもだから大したケンカじゃないんだけど、殴ったり蹴ったりをしたときに、初めて自分の意思を出せたっていうのかな。そっから僕、一気に目立ちたがり屋の性格に。
---その頃のこのあたりの様子を教えてください。
宮:下町情緒あふれるまちでしたねー。小学校の頃はまだ市電が走ってて。ここの目の前の交差点よりもうちょっと先まで。今のJRのガード下よりもうちょっと先かな、そこが聖天橋(しょうてんばし)っていう駅でね、終点だったんですよ。
---この辺の遊び場って昔はどこだったんでしょう?
宮:上中里に引っ越してからは、裏にあった峰、円海山が主な遊び場だね。あと、笹下釜利谷道路が前は氷取沢で行き止まりだったんで、クルマがまず通らないんですよ。で、砂利道だったんで、そこが遊び場になってましたね。あと中学(浜中)のときは学校終わって夏はそのままバーッと鳥浜行って、パンツ一丁でザブーンです。
|
これが、話に出てくる氷取沢のファミリー牧場のあたり。とてものどかな場所です。 |
|
---いいですねー。
宮:あと昔ね、今の氷取沢のファミリー牧場行く途中の道に通称「お化け屋敷」があったのよ。廃屋みたいなね。なにか物置き代わりに使ってたんだろうね。そこに夕方ぐらいから行って遊んだり。それで年中怒られてた。ただ、今とは環境も違うから親もよっぽどじゃないと心配しなかったですよね。うちの親はしつけはうるさいけど、そういうとこはあったね。家にいると怒られてましたよ。「外行って遊べ!」って言ってね。
---中学校時代はやんちゃだったんですか?
宮:あーそれはもう!(笑) 1年のときから速攻で3年の先輩に目つけられて。ケンカも多かったですね。3年生になったら学校にいない方が多かったかもしれない。この辺(パレ・ド・バルブのお店のあたり)、プラップラッしてて。たまに学校行くと朝一番で校長室に呼ばれてましたから。タバコ持ってないかのチェック(笑)。そんなガキンチョだったですよ。
---宮内オーナーは、地元に愛着が?
宮:すっごく強いですね。本当に強いです。ほかの区ではね、商店街の店が様変わりして様子がずいぶん変わっちゃったとこも結構ありますけどね。杉田商店街には100年とか続いてるお店が結構あるわけですから。そいういう伝統は大切にしたいですよね。これからいろんな形できっと磯子区も変わっていかなきゃいけない、新たなまちになっていくんでしょうけれども。その心というか、そういったものだけは変わらないで欲しいなっていう風に思ってますよね。そのために、自分もいろんな地域活動をしてるのかもしれないですね。
本当の横浜っていうものは恐らく杉田のような下町的な場所じゃないですか? 岡村、浜、磯子、森、中原、杉田なんていうのは最も代表してると思いますよ。あと磯子区ではないけど弘明寺とか横浜橋のあたりとかね(いずれも南区)。ああいうものが本来の横浜、ちょっと保守的な部分もある横浜なんじゃないかなっていう風に思いますよね。
---ところで、音楽活動について教えてください。
宮:もともと音楽が大好きでプロになりたいと思ってました。スター誕生に応募したぐらいですから(笑)。落っこったけどね。作詞家の阿久悠さんに「若すぎるから、もうちょっと勉強してから」っていうメッセージを頂いたりして。そうこうしてるうちに、コックに魅せられてそっちの道に入っちゃったんですけど。
---料理の仕事を始めてからはギターは?
宮:Plum'sに入るまではもうずっとやってなかった。コックの修行時代はそんなこと、とてもとても。結婚したのも早かったし子育てだのなんだのがあって、ギターを弾く余裕はなかったね。パレ・ド・バルブをオープンしてから少しずつ余裕ができてきて、そういう方向にも目が行くようになったんでしょうね。
---日吉で弾き語りもやってるんですよね?
宮:日吉NAPね。アコースティック専門で。Plum'sで久しぶりに音楽に触れて、それで生涯やっていきたいなって思って。いまや音楽がもし無かったら一気に老いてしまうだろうなって感じてるくらいです。 |
|
オーナーが接客(ホール)に専念しているワケ |
パレ・ド・バルブの名物のひとつが、お店の扉を開けるといつでもあたたかく迎えてくださる宮内オーナーの笑顔。この笑顔に逢いたくて足しげく通うお客様も数知れず。そこで最後に、元々は生粋の料理人である宮内オーナーが、パレ・ド・バルブで接客に専念している理由を教えて頂きました。
宮:料理って難しいものでね。「これなら切ってしょう油つけて食べるだけでうまいよ」っていうくらいイイ食材が手に入ったとしても、おいしくならないシチュエーションがあるんですよ。例えばお店に入ったときのスタッフの第一声。それひとつでおいしさが倍になるときもあれば半減するときもある。どんなに綺麗に盛り付けたお料理でも、お客様に持っていくタイミングや、そのスタッフの立ち居振る舞い、それ次第でおいしくもまずくもなってしまう。だから、料理っていうのは料理人だけじゃないんです。
例えば磯子マガジンさんが作ったハンバーグでもね、僕がテーブルまで運べばとってもおいしいハンバーグになります。これが僕の信念なんです。もちろん、それは料理の味が大事じゃないって言ってるのでは決してなくてね。料理の味と同じくらいサービス、接客も大事にしなきゃいけないっていうことなんです。
通常、レストランではね、調理場とホール(接客スタッフ)の仲が悪いことが多いんですよ。一例ですけど、調理場としては同じ料理はなるべくまとめて作りたい、ホール側はオーダーしたお客様をお待たせしたくない、そいういうことで、色々とぶつかってしまうんです。だけどウチの店はそうじゃない。お客様においしくお料理を召し上がって頂くというひとつの目標に向かって、一体になって取り組んでいます。なぜかっていうと、僕はもともと料理人だから厨房の仕組みを良く知っていることもあるし、それに調理と接客が両立してこその料理だっていうことは、スタッフにも良く話してるんです。
オーナーシェフとしてやってきて思ったことは、究極は自分で作って自分で持っていく。でもそれは物理的に不可能です。そして調理っていうのは、いい料理人がうまく見つかれば、100%自分と考えが同じではないにしても、任せることはできる。一方で、お客様に最大限においしく食べて頂けるようにサービスできるのは誰かっていうと、その店の店主でしかないという考えに至ったわけですよ。僕が厨房にいる頃は、忙しくてお客様のお相手があまりできないと「今日オーナーとお話しできなくて残念だったわ」って帰る人が圧倒的に多かった。それで調理場から出てホールをやる決心をしたんです。 |
|
取材を終えて |
宮内オーナーと中条シェフ、ものすごく対照的な二人です。オーナーは話し出すと止まらない。シェフは照れ屋で口数が少ない。でも、取材時のインタビュー・テープを聞き直しながら記事をまとめていてわかったのですが、料理に対する考え方や、仕事に取り組む姿勢が実に良く似ているんです。二人別々にインタビューした内容でもそうなんです。夫婦でもこうはいかないんじゃないかと思うぐらい。これはもう、ものすごくコミュニケーションがうまくいっているんだなぁと感心しました。さぁ、あなたもこの強力コンビが生み出す素敵な料理と空間をパレ・ド・バルブで堪能してください。 |
|
磯子マガジン トップへ戻る |