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元オフコース、磯子育ちの鈴木康博さんにインタビュー!

2009年4月取材
鈴木康博さんオフコースの中核メンバーで、ギターとボーカルを担当していた鈴木康博さんが実は磯子区育ちということはご存知だったでしょうか?

いつか鈴木さんにインタビューできたらなぁ・・・、と思っていたそんなある日、区内の福祉施設にお勤めの岸本さんという方から、「鈴木康博さんにインタビューできるようにセッティングしました!」というなんともビックリの連絡を頂きました。

「願っていればいつか夢は叶う!」とばかりに、突然実現した鈴木康博さんのインタビュー。たっぷり約2時間、最近の音楽活動や、磯子での思い出などを、お話して頂きました。

6月27日(土)には、横浜ランドマークホール(桜木町)でバンド・ライブも予定されています。ライブのチケットを既に持っている方も、これから買うぞという方も、ロング・ロング・インタビューをじっくりお楽しみください。

【鈴木康博さん特集!】
<鈴木康博さんプロフィール> オフコース脱退後、24枚ものソロ・アルバムをリリース
インタビューPart1 「自分でできることを形にする、それをライフワークに」
6月27日(土) ランドマークホールでスペシャル・リクエスト・ライブ!
インタビューPart2 「メジャー契約しないでも音楽続けるってどういうこと?」
最新のライブを収録したDVD&CD発売中!
インタビューPart3 「5歳から25歳まで磯子にいました」
インタビューPart4 「最初のコンサートは磯子でやった気がする」
インタビューPart5 「磯子を思いながら作った歌? それはもうありますよ!」
インタビューPart6 「ストレイテナー、好きだったんですよ!」
インタビューPart7 「今の夢は70まで歌い続けること」

今回、インタビューの手配をしてくださった岸本さんは、現在もテレビ等で活躍中の某超有名芸能人のマネージャーを数年間勤めていた方。取材等の手順にも詳しい岸本さんには、無理を言ってインタビューに同行して頂きました。また、写真は、プロのカメラマンであり、磯子区などで演奏活動をしているハナ*オトのリーダーでもある木村さん(squash yokohama japan代表)に応援をお願いしました。というわけで、4月某日、都内スタジオに「磯子軍団」がお邪魔し、ライブ・リハーサル前の貴重な時間を割いて頂いたインタビューをどうぞ!

オフコース脱退後、24枚ものソロ・アルバムをリリース

鈴木康博さん幼い頃、磯子区に引っ越してきた鈴木康博さんは、浜小学校から根岸線・山手駅そばの聖光学院中学に進学。同高校時代に小田和正さん(金沢区出身)ら同級生とオフコースの前身となるグループを結成します。鈴木さんが東京工業大学を卒業後、1970年に「オフコース」でプロデビュー。

以降、鈴木さんはオフコースの中心メンバーとして活躍。72年〜78年までの間は、オフコースは鈴木さんと小田さんの二人組で、曲も鈴木さんと小田さんがほぼ半数ずつ作詞・作曲。自分の曲は自分でリード・ボーカルをとるというスタイルでした。

その後、3人の新メンバーを加えて5人組となったオフコースは、1979年のシングル「さよなら」で大ブレーク。しかし、人気絶頂の1982年、鈴木さんはオフコースを脱退し、ソロ活動を開始。以降、これまでになんと24枚のソロ・アルバムをリリースしています。また郷ひろみの『素敵にシンデレラ・コンプレックス』を作曲するなど、他のアーティストへの楽曲提供も多数。

最近では、ソロ活動だけでなく、「赤い鳥」の山本潤子さん、「ふきのとう」の細坪基佳さんと3人で「Song for Memories」を結成し、それぞれの代表曲はもちろん、懐かしい邦楽曲・洋楽曲などを披露しています。

公式プロフィール
1948年静岡県修善寺に生まれ、横浜で育つ。
中学の頃からアメリカンポップスに影響されギターを持つ。東京工業大学時代に、友人小田和正らとオフコースを結成。
1970年「群集の中で」でデビュー。バンドのヴォーカル&ギターとして一時代を築く。1982年6月の歴史的な武道館10日間公演後、オフコース脱退。ソロ活動を開始する。
ソロとしてアルバムを24枚リリース、またCMや劇伴音楽の制作等、幅広い活動を展開中。
また2000年に結成された「Song for Memories (鈴木康博・山本潤子・細坪基佳)」にメンバー&アレンジャーとして参加、ライブも全国各地で精力的に展開中。
鈴木康博公式サイト

インタビューPart1 自分でできることを形にする、それをライフワークに

鈴木康博さん--- 6月27日に大きなコンサートが横浜でありますね。

鈴木:はい。ランドマークホールで。

--- 昨年のやはりランドマークホールでのコンサートは、還暦(60歳)を迎えられて、これまでのキャリアの集大成的な意味合いがあったと思うんですが、今年はそれから1年でどのようなライブを?

鈴木:いつもそうなんですけど、新しい年に何やっていいかわからない(笑)。何年もやってきてて、毎年そうなんですよ。ただやっぱり、今までに無い自分、「61歳の鈴木康博」を見つけ出していくって言うのかな。やり続けてればきっと出会えるだろうっていう感覚でやってます。

--- ライブの曲はもう決まってるんですか?

鈴木:まだですね。去年は自分側からの発信で「皆さんありがとうございました」っていう意味でやったので、今年は皆さんからのリクエストで決めていこうと思ってます。
(※ということで、鈴木康博さんの公式サイトでは、ランドマークホールでの演奏曲目のリクエストを募集中です! →現在は終了しています)

--- 6月も一緒に演奏されるバンドの方たちとは、もう結構長く一緒に活動されていますね。

鈴木:はい。10年以上はやってますね、もう。

--- それだけ長くやってると、何も言わなくても阿吽(あうん)の呼吸でっていう感じですか。

鈴木:みんながみんな優秀なミュージシャンなんで、僕に合わせてくれてると思ってますし、オフコースの頃の曲も聞いてくれて、この感じに合わせてくれてる。ありがたいと思ってます(笑)。

--- こうやったらこう来るな、みたいなのもある程度わかってきて・・・

鈴木:まぁそうですね。

--- 時にはそれを裏切ったりとか?

鈴木:いや、あんまり・・・
(ここで、傍らでインタビューを聞いてくださっていたバンド・メンバーの方から「打合せ通りです!(笑)」と声がかかりました。)

僕、アドリブ利かないんで打合せ通りです(笑)。でも今のメンバーがね、小原(こはら)君とか吉岡君が金沢文庫出身だったり、っていうのはホント不思議ですよ。地元っていうか横浜出身のメンバーと一緒にやってるのが。

--- 新しいアルバムのご予定は?

鈴木:何曲か作り始めてますが、リリース時期はまだわからないです。アルバム全体のイメージは、おおよそはあるんだけど、まだ形にできてないので(笑)どうなるかなぁって。

基本的には年1枚のオリジナル・アルバムを作ろうと思ってるんです。なかなかそうはいかないんだけど(笑)。でも、新しいアルバムを、新しい言葉と新しいサウンドでこれからも作り続けていこうって。自分でできることを形にする、それをライフワークにしていこうと思ってるので。

--- 現在の使用機材を教えて頂けますか?

鈴木:ギターはね、イバニーズの550。何て言うんだあれ? AWだっけ?

--- えっと・・・ARじゃないでしょうか。

鈴木:あ、AR! AR!(笑)

--- あのギターはすごくたくさんツマミが付いていますが?

(※ここから少しギターの細かい話になるので、別ページにさせて頂きます。興味のある方はコチラをクリック)

6月27日(土)、ランドマークホールでリクエスト曲中心のスペシャル・ライブ!

インタビューにもあるように、6月27日(土)、横浜ランドマークホールで、市立金沢高校出身の小原さん、吉岡さんをはじめとする凄腕ミュージシャンが脇を固めた、バンド形態でのライブが行われます。ファンの方たちからのリクエスト曲中心のスペシャル・ライブ。想い出のあの曲や意外なあの曲が、鈴木さんの地元・横浜に響き渡ります。チケットは既に発売中。お早めにお買い求めください!

公演名 “YASS SELECTION” Live vol.01
オフコース時代から、最新アルバム「いいことあるさ」までの楽曲の中で
リクエストの多かった曲を選りすぐってお届けするスペシャルバンドライブ!
日時 2009年6月27日(土) 午後5:00開場、午後5:30開演
会場 横浜ランドマークホール (※最寄り駅=桜木町駅、みなとみらい駅)
チケット 6,300円 (全席指定/税込) チケット好評発売中!
プレイガイド チケットぴあ(Pコード=319−523)、ローソンチケット(Lコード=72879)、
CNプレイガイドイープラス
問合せ KMミュージック 045−201−9999

その他のライブ情報は公式サイトをご覧ください。5月31日(日)には鎌倉の歐林洞ギャラリーサロンで、ワイン・紅茶・お菓子付きのライブもあります!

インタビューPart2 メジャー契約しないでも音楽続けるってどういうこと?

鈴木康博さん

--- 続いてたくさん出されているソロ・アルバムのお話を聞かせてください。近作で一番びっくりしたのは『ダレか胃薬クレ。』(2002年)で、歌詞もサウンド的にもガラッと変わった気がしたんですが。

鈴木:いや、その前の『anyone』(1998年)っていうあたりから徐々に変わりつつ。ただ以前はサウンドを人に任せてたところがあったんだけど、『胃薬』から全部自分でやるようになったんですよね。ミキシングとか一部はほかの人と一緒にやったりしたんですけど、レコーディングはもうほとんど自分の家でやるようになった。そこから変わったと思うんですね。ボーカルから何から。それがいい方向か悪い方向かは別にして、自分がやりたいサウンドになってったんだと思うんですけど。

--- セルフでやられることでどうしてああいう方向に進まれたと思いますか?

鈴木:わかんないなぁ。うーん、自然に・・・。例えばキーボードも自分でやるようになったしねぇ。なんか、あるときキーボードを弾けるようになり始めて。それから、コンピュータのソフトシンセなんかも使えるようになって随分自分でいろんなことができるようになったんですよ。あとサウンドがシンプルになってったような気がするんですけどね。

--- 歌声も太さを増されてるように感じたんですが。

鈴木:これはね、よく言われます。『胃薬』のときもねぇ、「声がかすれちゃったんじゃないの?」とかって随分言われて。でもそうじゃなくて、今までリバーブっぽい(エコーの利いた)ボーカルだったんだけど、とにかく硬い音にしたい、できるだけここ(近く)で聞こえるようにしようって。だから、エフェクターはあんまりかけないで、生の声に近い形っていうのかな。

--- 歌い方そのものを意識して変えているワケでは無いですか。

鈴木:無いですね、自分の中では。ただロックっぽいうっていうと俗な言い方だけど、そういう風になってる感じはします。あと、歌詞にもよるんですよね。

--- 歌詞の内容によって歌い方も自然に・・・

鈴木:うん、そうですね。そういう歌詞を作るようになったからって言うのもあるし。

--- そういう歌詞を作るようになったのはどうしてなんでしょうか。

鈴木:うーん、なんなんだろうなぁ。妙に形を作らないように、っていうのはありますけどね。自分で全部作るようになってからは「恋愛の歌を作んなきゃ」とかそういう視点ではない歌を随分作るようになって。で、そうするとやっぱり自分の生き様だとか、そういうのを歌にするようになってきたんだよね。リアリティを求めた結果、そうなっていったような気がするね、いろんな意味で。

--- えっと、では、アマチュアの頃から現在まで、長いキャリアの中で、レコーディング、ライブ、その他、音楽全般で変わったこと、変わらないことを教えてください。

鈴木:難しいなぁ。もうずっと変わってきてるし・・・

岸本:常に進化されてますよね。

鈴木:まぁ進化っていうか、ただ変わってるだけだと思うんですけど(笑)。

うーん。やっぱり、ずーっと東芝EMIとメジャー契約してやってきたんですけど、だんだんメジャーから外れていったんですよ。それで「メジャー契約しないでも音楽続けるってどういうことなの?」「音楽やるってどういうことなの?」って自分に問いかけ始めてから、言葉ではハッキリどういう風に変わったかっていうのはわかんないけども、音楽をやる姿勢が随分変わったような気がするんですね。

メジャー契約してる以上はね、売れるものを作らないと要するにビジネスにならない。で、メジャー契約を外れてから、今やってることっていうのは本当に自分のマイペースで作って、自分でライブして回って。いわゆるビジネスにはならなくても、「ならない音楽のやり方」っていうかな。「音楽を生業(なりわい)とするやり方ってどういうものなんだろう」って、ずーっと自分自身に問いかけ続けてるような気がするんですよ。それが『胃薬』になってったり、『いいことあるさ』(2007年)っていうアルバムにつながってってるんだけども。

鈴木康博さん今はアルバムを作るときに他の人とのセッションを一切やらないんですよ。自分だけでやってる。自分がドラム・プレイヤーであり、キーボード・プレイヤーでもあり、ギター・プレイヤーでもあり、自分の中でセッションしてるわけ。

全てがそうなんですね。ライブにしても、完全にひとりでやる形態のライブもやってるし。それはもうホントに自分自身を頼るしかないわけで(笑)。とにかく自分が「やめた」って言わない限りはやり続けられるわけですよ。その代わり「やーめた」って言ったらそこで終わっちゃう。その「やーめた」を言わない、音(ネ)を上げない自分の心の持ちようだとか、そういうものはたぶん歌に出てると思うんです。

だから今ついてきてくれてる、見に来てくださるファンの方たちは、ホントにそういう姿を見に来てくれてるワケだし、そこに何かを感じてくれてるっていうのがすごくあって。インターネットとかね、技術の進歩で、皆さんからメールを頂いたりとか直(ちょく)に声を聞けるワケでしょ。ファンの人たちの感じ方だとかを身近に感じられる時代になってきた。そういう時代の影響も受けながら、活動してる感じがするんですよ。

音楽の作り方も全然違ってきてるしね。で、音楽っていうもの自体が時代とともに変わるものだって思ってるから。そういうものを感じて形にしていくのがポップ音楽だって思ってるんですよ。

だから、そういう意味でやり続けてられるのは不思議な感じがするし、やり続けてきて良かったなって思う。ライフワークとしてずーっと、いま感じてることを形にしてくっていうようなことが成り立つ、そういう考え方でいいんだなっていう思いになってます。それが変わってきたことっていうか、時代とともに変わってることだと思いますね。いろんな意味で。

最新のライブを収録したDVD&CD発売中!

鈴木さんの最新作は、ライブDVD&CD。2008年に横浜ランドマーク・ホールで行われたライブの模様がDVDには27曲、2枚組CDにはなんと全31曲収録されています。

【DVD】 『Yasuhiro Suzuki Anniversary Live 1970-2008』 \4,800(税込) DNBB-1006
Yasuhiro Suzuki Anniversary Live 1970-2008オフコースのデビュー曲「群集の中で」「はたちの頃」を初ライブ映像収録。
また、ライブの定番曲とも言える「一億の夜を越えて」「メインストリートをつっ走れ」「いくつもの星の下で」に加え、オフコースの脱退後は封印された、ファン待望の幻の名曲「SAVE THE LOVE」収録。
さらにサプライズとして鈴木自身がピアノ一本で披露したレアな楽曲「流れゆく時の中で」等も含む、アニバーサリーライブDVD!

収録曲等の詳細はコチラ (鈴木康博公式サイト内)

【CD】 『Yasuhiro Suzuki Anniversary Live 1970-2008』 \4,200(税込) DNCA-2032/3
Yasuhiro Suzuki Anniversary Live 1970-20082008年、還暦を記念し、横浜ランドマークホールにて行われた「Yasuhiro Suzuki Anniversary Live 1970-2008」をCD化!

オフコースのデビュー曲「群集の中で」から最新アルバム「いいことあるさ」まで、鈴木康博38年間の軌跡を読み取れる、プレミアムLIVE盤!
<オフコース時代の名曲「SAVE THE LOVE」も収録!!>

収録曲等の詳細はコチラ (鈴木康博公式サイト内)
その他の鈴木康博さんの作品はコチラ (鈴木康博公式サイト内)

インタビューPart3 5歳から25歳まで磯子にいました

(続いて、磯子の話をして頂こうと、磯子の演歌歌手・水木昌平さんのコンサート記事をプリントしたものを鈴木さんにお見せします。小田和正さんのお兄さん小田兵馬さんがゲストで歌っている記事です。)

鈴木:僕や小田(和正さん)が音楽を始めたキッカケは実は小田のお兄さんなんですよ。お兄さんが合唱団で、それに影響されて小田が合唱かなんか始めて。僕はお兄さんから直接教わったわけじゃないんですけど、いろんな面でお兄さんの影響が結構強くて。

お兄さんがやっぱり音楽が好きで、アメリカのスタンダードの曲とか、洋楽のLP(レコード)なんかをハイファイのセットで・・・

--- ハイファイ・・・ですか?

鈴木:わかんないか(笑)。ステレオのオーディオ・セット。当時、流行り始めてたんですよ、でかいスピーカー置いて、オーケストラを聴かせてもらったりとか。そういう影響がすごいありましたね、いま思うと。

--- (続いて、浜小同窓会の記事をお見せしながら)浜小で鈴木さんの同級生だった方たちが6月に同窓会を開かれるそうですね。

鈴木:そうなんです。ツアーの最中なんで僕は出席できないんですけど。あ、僕、(昭和)35年卒なんですか?

--- はい。

鈴木:そうなの? 35年卒?

--- はい。だと思います(笑)。

鈴木:ははははは。そうなんだ(笑)

鈴木康博さん

--- (今度は鈴木さんが小1のときのクラス写真をお見せして)この中に鈴木さんが写ってるそうなんですが。

鈴木:どこだろう・・・あ、コレだ!

--- やっぱり! 同級生の方も「これが鈴木君だよ、絶対!」っておっしゃってました。(浜小同窓会の準備打合せに出席していた方たちの名前をお伝えすると・・・)

鈴木:あ、太田早苗さん覚えてますよ! みんなの憧れだったんですよ。

--- 中学・高校も同じ学校だった小澤さんとは今でもお付き合いがあるんですよね?

鈴木:そうです、そうです。

--- こんな写真もあります。(と海に隣接していた頃の浜小の写真をお見せする)

鈴木:おぁーーーー、まだこっち海だもんなぁ。うわーーー、コレ。見覚えありますねぇ。懐かしいこれ。ほんと浜小学校だ。いやー、潮干狩りやってたんだもんねぇー。

岸本:校庭からすぐ海に行けちゃうなんて凄いですよね。

鈴木:そうなんですよねー。ホントに。(別の写真を見ながら)これ16号線ですね。市電とね、進駐軍のトラックとか、戦車やら何やら走ってたんですよね。

--- ところで鈴木さん、2歳下の弟さんがいらっしゃいますか?

鈴木:はい。

--- あ、やっぱり。今の磯子区長の守屋さんが鈴木さんの弟さんと同級生らしいんです。

鈴木:あ、そうなんですか!? へー。

--- それでは磯子時代のお話を聞かせてください。磯子にお住まいだったのはいつ頃ですか?

鈴木:たぶん5つのときに横須賀の追浜から引っ越してきたと思うんですよ。1953年ぐらいに。それが屏風ヶ浦幼稚園だと思います。八幡さまの神主さんがやってる幼稚園が屏風浦駅の近くにあって。

岸本:浅間神社ですか?

鈴木:そうですね。浅間神社の下に。はは(笑)、浅間神社ですね。なつかしい!

--- それから大人になっても磯子に?

鈴木:大学を卒業して一応25(歳)ぐらいまでいたと思います。ただ、いたって言っても、卒業してからは(音楽活動を始めていたので)ほとんどウチには帰らなかった(笑)。

--- 磯子の地図を持って来ました。お住まいだった場所はどの辺でしょう?

鈴木:磯子工業高校はどこなんだろ。その近くなんだけど・・・あ、ここだ。この辺、森5−15の・・・

岸本:篁修寺さんのそばだったとか。

鈴木:あ、そうです、そうです。お寺の谷戸地街っていうんですか。ひとつ山をはさんだ反対側。

--- 浜小学校は鈴木さんがお住まいだったところからは学区外だったと聞いているんですが。

鈴木:そうなんです。学区だと屏風浦小学校のはずだったんだけど、屏風浦小学校は1学年16組の二部授業になるって話があって。母親は、結構早くから(私立に)進学させたかったみたいで、生徒の少ない学区へっていうことで浜小に通うことになりました。

--- 浜小へは歩いて行かれてたんですか?

鈴木:行きは市電に乗ってった・・・と思う。(家から)白旗商店街を抜けて、白旗(しらはた)駅からですね。

--- 磯子は以前は磯子警察署のあたりが中心地で、今の磯子駅の周辺は「街」っていう感じじゃなかったそうですね。

鈴木:何にも無かったですね。海があって、潮干狩りができてっていう。で、料亭があって。邸宅みたいな、敷地の広い立派な建物だったんですけど(料亭だと知るまでは)「なんだろう」って思ってました。

--- 浜小の隣の偕楽園っていう名前の料亭が有名だったらしいですけど。

鈴木:偕楽園・・・? そうだ! 偕楽園ですよ。はいはい。

--- 駄菓子屋さんとか子どもが行くようなお店は近所にはありましたか?

鈴木:えーっと、白旗商店街にあった気がするなぁ。京浜急行のガードがあって、その下にちっちゃいお店があって、それが駄菓子屋だった気がする。
その店でお菓子っていうか、あの頃は、よくあるサッカリンの効いた砂糖菓子だとか。色がドギツイやつね。あと、お好み焼きの皮だけの・・・、薄皮だけのお好み焼きにソースつけて、みたいな。紅しょうがが乗ってるだけみたいな(笑)。母親から「食べちゃだめよ」なんて言われて。そういうのがありましたね。はは(笑)。

--- 屏風浦の海で泳いだりも?

鈴木:泳がなかったなぁ。さすがにもう汚いから。親父が京浜急行(勤務)だったんで、泳ぎに行くときは馬堀海岸(横須賀市)まで行ってました。「そっちの方がいいよ」って言って連れてってくれて。

インタビューPart4 最初のコンサートは磯子でやった気がする

(ここで話題は自然と学生時代の音楽活動の話に進んでいきます。)

鈴木:だいぶ時代が飛んじゃいますけど、大学生になってから「コンサートやろう」っていう話になって、磯子の区役所の400人ぐらいの会場でコンサートをやったような気がするんだよなぁ。「ちっちゃいとこから始めよう」かなんか言って。

--- 何年ぐらいでしょうか?

鈴木:昭和41年ぐらい。まだアマチュアで、フォークソングとかカレッジフォークとかはやり始めた頃で。オフコースの他にも何組か(音楽を)やってる連中がいたんで「じゃあ一緒になんかやろうか」って。

岸本:浜フォーク・ジャンボリーとは違うものですか?

鈴木:違います。「浜フォークにはお世話になるまい! 自分たちでコンサート開こう」みたいな。だから最初は磯子、次が紅葉坂(桜木町)の青少年センター。

--- そのときのオフコースは何人だったんですか?

鈴木:3人ですね。地主と。リサイタルだったのか、他に何組か出てたのか、それはハッキリ覚えてないですけど。
※地主=地主(じぬし)道夫さん。初期オフコースのメンバー

--- 客席は埋まったんですか?

鈴木:いやー(笑)。友達ばっかりだったような気がするんだよな。

--- それでは、幼い頃の音楽との関わりについて教えてください。最初に音楽に目覚めた、ショックを受けたっていうのはいつごろなんでしょうか?

鈴木:中学2、3年生ぐらいのときに電リク・・・電話リクエストっていうのが流行ってて。そこでかかってたのが、パット・ブーンとかジーン・ピットニー、リッキー・ネルソン、ポール・アンカ、ニール・セダカ。まぁその辺の人たちだね。プレスリーのちょっと後の世代なんだよね、僕たち。

鈴木康博さん英語習い始めたばっかりだったから、英語の歌を聴いて、聞きかじりでその歌まねして。巻き舌で(笑)。ちょっと得意だったわけですよ(笑)。みんなで「あそこ何て言ってんだ」「こう言ってんだ」なんて話しながら。歌詞をカタカナで書いてね。

テレビ番組の『ローハイド』の主題歌があったんですよね。ローレン・ローレン・ローレンっていう。初めて買ったレコード・・・、ドーナツ盤がそれだった気がする。

--- どこでレコードを買ったか覚えてますか?

鈴木:全然覚えてないです。でも、たぶんね、伊勢佐木町とかあの辺まで行って、買ったんじゃないかなぁ。

--- 磯子にはレコード屋は無かったんでしょうね。伊勢佐木町というと、ハマ楽器とかでしょうか。

鈴木:ハマ楽器?

--- はい、伊勢佐木町の真ん中辺の。

鈴木:真ん中にあるんだ? たぶんその辺ですね。

--- 楽器を買ったのも伊勢佐木町ですか?

鈴木:最初にギター買ったのは高校1年生のときだったんですけど、それはどこで買ったのか・・・全く覚えてない(笑)。ガットギターでしたね。

当時フォークソングもたぶん流行ってたとは思うんだけど、最初にやっぱりベンチャーズがキタんですよ。キタっていうのは心にね(笑)。テケテケテケテケとかやりたいって。ただ「どうも(ガットギターの)ナイロン弦じゃ、あの雰囲気が出ない、どうやったらいいの?」って、ガットギターに鉄線(鉄の弦)を張ってみたり。いろいろ試しましたね。

--- 当時は練習スタジオなんか無いんですよね?

鈴木:全く。学校で練習するしか無かったですね。最初は地主の家に行ってちょっと習ったりしたんだけど。「どうやって弾くんだ?」とかって聞いて、譜面みたいの渡されたりして。でもよくわからないんだけどね(笑)。

高校1年の冬に学校でクリスマスのコンサートがあったんで、そこでみんなで合奏しようよっていう話になって。ガットギターと、他にブラスバンドの人とかと一緒に。そのときに『80日間世界一周』とか、そういう曲をみんなでアレンジして合奏するっていう。

鈴木康博さんそのうちにフォークソングっていうかカレッジフォーク。ブラザース・フォーとかキングストン・トリオ・・・そういうのがラジオでかかるようになって。「あ、これなんかできそうだな」って思ってね。

で、僕らの一年上の先輩たちが卒業のときに『ニグロ・スピリチュアル』っていう黒人霊歌をアカペラでやったんですね、4人で。その人たちが結構成績も良くてね。どっかいいとこ(大学)へ進学したような気がするんだよなぁ。「勉強もできて、音楽もできてカッコイイぞ。ああいう存在になりたい!」とかって憧れちゃって(笑)。それで自分たちも高校の卒業の記念に「足跡をのこしてやる」っていうか、まぁ「なんかやらかそうぜ」みたいな話になって。

で、学校に許可をもらおうってクラスの担任の先生のとこに行ったんです。そしたら「この時期に何を言ってるんですか!? 進学も近づいて勉強が大事な時に、ギターなんか持ってきて!」みたいな話しで。「そんな暇あるんだったら勉強しなさい!」みたいな(笑)。

で、聖光学院てミッション・スクールだったから、校長先生が外人の先生だったんですよね。それで、今度は校長先生にかけあいに行ったんですよ。だって、やろうとしてる歌はアメリカで流行ってる歌だし、カレッジフォークって言って「(アメリカでも)学生がやってるんだからいいじゃねえか」って思って。そしたら校長先生は「あぁ、それはいいことだ、やりなさい」って(笑)。お墨付きー!みたいな感じで、それでできたっていう。

磯マガおすすめアルバム その1

鈴木康博さんやオフコースの音楽にあまり詳しくない、という人にこそ聴いて欲しいアルバムを何枚か紹介します。
【CD】 『BETTER THAN NEW -The Song I Love-』 (1990年リリース)
BETTER THEN NOW「The Song I Love」つまり「僕の愛した歌」というサブタイトルの付いた洋楽カバーアルバム。

たとえばポリスの「Every breath you take」。元々印象的なアレンジの曲ですが、鈴木さんは奇をてらわずに真っ向から、しかし原曲とはかなり違ったアレンジで勝負しているのが凄いです。他にもモンキーズやスティービー・ワンダーなどの洋楽クラシック・カバーが収録されており、鈴木さんの優れたアレンジ・センスが遺憾なく発揮されています。

CDは廃盤のようですが、Napsterなどのネットで購入できます。
1990年リリース。

インタビューPart5 磯子を思いながら作った歌? それはもうありますよ!

--- ところで、横浜や磯子を思いながら作った歌ってありますか?

鈴木:それはもうありますよ! 当然海の歌とか、たくさんあるんですけど、大体まぁ、こういう(と、磯子の地図の海の部分を指差しながら)昔見た海の景色ね。子どものときに見た屏風浦の景色だったり。

あるいは学生のときにクルマ飛ばしてね、三浦半島の城ヶ島だ、鎌倉・江ノ島だ、そういう遊び場だったような場所をね思いながら書いた歌はあります。

青春ていうかな、当時はね、ほとんど男同士で遊んでたんだよね。夜、連れて歩けないじゃないですか、女の子はね。だから男連中は麻雀だなんだして、その後に「どっか行こうぜ」っていったらクルマ飛ばしてもう明け方、城ヶ島だなんだって行くわけですよ。で、「こんなときに彼女でもいたらいいなぁ」っていうそういう憧ればっかりで。やっぱりそういう歌をなんとなく憧れでね、作ったりするのが多かったですね。

高校生のときってグループ交際みたいになるわけですね。知り合いになった子のうちにみんなで集まって、騒ぐって言うか、ケーキ食べたりコーヒー飲んだりそんな程度なんですけど。

鈴木康博さんで、ポール・アンカとかリッキー・ネルソンだとかのレコード・・・、LPのジャケットって当時、金髪でリーゼント。アイドルみたいな格好のジャケットなのね。それを見て同世代の女の子が「素敵ね〜」とか言って眺めてて、こっちには目もくれないわけ(笑)。全然どう見たってあっちのがカッコイイ。「こういう連中にはかなわねーな、でも歌がうたえたらカッコイイだろうなー」みたいな。

そういう憧れでね、洋楽っていうか、アメリカン・アイドルね。60年代の(アメリカの)テレビドラマ見ても素敵なウチに住んでね、「あーカッコイイなぁ、アメリカって」って思ってる頃ですよ。だからいろんな意味で影響されちゃって。日本の歌謡曲なんか流れてくると「ダサイな」っていう。ハナから「アレは違う!」って思い始めちゃってる。高校1年生ぐらいからねぇ(笑)。

--- 横浜って、アメリカ文化が入ってきやすい環境だったんでしょうか?

鈴木:本牧・・・、間門あたりから元町に向かっていく道の両脇が米軍の基地だったんですよ。ずっと基地があって金網があって根岸の上の方まで続いてるんですよ。僕たちは居留地って言ってたんだけど(笑)進駐軍の素敵な家があるわけです。将校たちが住んでるような。

で、その金網の外れたところにはナショナル・マーケットがあって、その端っこにリキシャ・ルームっていう店があったんですよ。そこへ外人が集まっててて、卒業した先輩が酒飲みに行ってるわけ。そういうところに憧れるわけですよ。「なんかピザとか食べてるぞ」って(笑)。「おい、ジンジャエール飲んでるぞ」みたいな(笑)。

そうするともう、「あー早く卒業してああいうとこ行きたい」みたいな。中華街にもいわゆる不良グループが集まるような店があって、そういうとこには怖くて入れないんですよ。レッド・シューズとかね。

あとまぁ外人墓地行けば外人さんたくさんいるし。あそこまでの道も、山手から元競馬場(現・根岸森林公園)の山の上にずーっと行って、港の見える丘公園までずーっと両側洋館だし、素敵な道なんですよ。山手の教会もあって。学校もインターナショナル・スクールとか、セント・メリーとかあって。そういう中に雙葉(学園)だ、フェリス(女学院)だって、女子校もあるでしょ。だから、しょっちゅうみんなで港の見える丘公園まで歩いて行きましたね、学校帰りに20〜30人で。

--- ところで、横浜のミュージシャンって、ちょっとクールな感じがするんですね。オフコースは、ジャンルでいうとニューミュージックに入れられるけど他のグループとはちょっと違う、ゴールデンカップスはグループサウンズだけど「いや俺たちはアイドルじゃない」っていうような。

鈴木康博さん鈴木:よくわかんないですけどね、早くからアメリカの文化の近いところにいたでしょ。それでね、音楽にしても、自分たちが影響されて「やりたいなー、かっこいいなー」と思ってるものが、世の中に流れてないんですよ。テレビでやってるのってどうも違う。そういう感覚はいつもありました。

それはいまだにそうですけどね。「俺のやりたいのはちょっと、なんか違ってるな」っていう感じ。でもそれ、すごい大事にしてるんですよ。自分にしかできないことっていうのは、アイデンティティだと思うから。自分の思ってること、感じてることをどうやって形にしていくかが、今の仕事だと思う。詩にしても、サウンドにしても、メロディーにしても。自分しか持ってないもの・・・、育った環境もそうだし、あらゆるものがそうなんですけど、それが鈴木康博だから。

そういう気持ちでやってるんですけどね。だからそれが他の人とは違うっていうか、うん、そういう風に見られれば確かにそうかもしれない。

例えば博多から来た連中、チューリップだとかさ、長渕にしたってそうなんだけども、全然違う感覚できてるから、僕たちとは違うところでやってるなって思う。でもそれはそれで凄いアイデンティティーがあって。そういう「自分のもの」を持ってる人ほどやっぱり皆さんに伝えるものがある、伝わるものがあるような気がしますね。

だから、横浜育ちをことさら前面に出すわけじゃないですけども、自然にそうなってる感じですかね。

--- 横浜からさらに絞った話をさせて頂きますと、磯子区は美空ひばりさんをはじめ、すごくたくさんのミュージシャンを輩出しています。同じ浜小で4学年下のミッキー吉野さんのことは当時はご存知でしたか?

鈴木:全く知りませんでした(笑)。もうずーっと経ってからですよ、実は同じ浜小出身だっていう話を聞いたのは。ゴダイゴのときも知らなかった。後から聞いてびっくり。

--- ほかにも磯子区出身のアーティストはたくさんますね、杉山清貴さんとか。

鈴木:あ、そうなんだ!

--- ゆずのお二人が磯子区出身なのはご存知だと思いますが、EXILEのリーダーのHiroさんも磯子区出身です。

鈴木:EXILEも? へぇーーーー。はぁーー。知らなかった。そうなんだ。

--- あとミュージシャンじゃないですけど、星飛雄馬(巨人の星)の声をやった声優の古谷徹さん(他にガンダムのアムロ役など)は、さっきお話にも出た白旗商店街のあたりのご出身です。

鈴木:うっはっはっは(笑)。ほーんとぉ! へぇーーー。

--- そんな感じで磯子区出身で一時代を築いた方ってとても多いんですけど、何か理由があるような気がしますか?

鈴木:うーん(笑)、わからん!(笑)

磯マガおすすめアルバム その2

【CD】 『秋ゆく街で / オフ・コース・ライヴ・イン・コンサート』 \2,600(税込) TOCT-95033
秋ゆく街で「オフコース2人時代」に発表されたライブアルバム『秋ゆく街で オフコース ライブ イン コンサート』(1974年)。

このライブはサポート・メンバーが超豪華です。村上ポンタ秀一さん(ドラムス)、故・大村憲司さん(ギター)、故・羽田健太郎さん(キーボード)らをバックに鈴木さん、小田さんが歌うという、2009年に振り返ると、なんとも贅沢な組合せが実現していたんだなぁ、と感慨にふけります。

アルバムは、鈴木さんのリード・ボーカルによるマーヴィン・ゲイのカバー「What's goin' on」で幕を開けます。これがまた最高にカッコイイ!

ちなみにこの当時、オフコースが泉谷しげるさんの曲をカバーしてたとの噂を耳にしていたので、今回お聞きしたところ、カバーしていたのは「春夏秋冬」だそうです。一度だけじゃなくて、何回もライブで演奏したとのこと。

※今年の1月に高音質なSHM-CDで再リリースされました。オリジナルは1974年リリース。

収録曲等の詳細はコチラ

インタビューPart6 ストレイテナー、好きだったんですよ!

--- それでは、磯子の話と横浜の話はこれくらいにしまして、今度は一問一答的に音楽の話をいろいろ聞かせてください。まず、影響を受けたギタリストを教えて頂けますか?

鈴木:いやぁ、わかんないですよ。だってなれないもん、その人に(笑)。
まぁ、ジョージ・ベンソンとかラリー・カールトンとか。あと、ジェームス・テーラーとか。いっぱいいますよ。ポール・サイモン、それからPPM。えーと、ポール・マッカートニー。

--- 意外です。お名前があがった人の多くは、バリバリにギターソロを弾くっていうタイプではないですね。

鈴木康博さん鈴木:じゃないですね。アンサンブルがいい人っていうのかな。ホントにね、バリバリにソロでアドリブでギター弾こうとは全然思ってないの。むしろ近くに弾ける人がいるんだったら「どうぞ」っていう(笑)。「僕はサポートに回ります」みたいな。「リズム・ギター大好き」みたいな、そういう方ですから。

--- なるほど。では次の質問です。鈴木さんがインタビューで、サウンド・プロダクションではドラムのサウンドが重要だってお話されてるのを読んだことがあって、すごく共感したんですが、理想とするようなサウンド、アルバムがあれば教えてください。

鈴木:いや、ドラムの音はねぇ、変わってきちゃってるから、全然言えないです。もう時代とともにホント変わるじゃない? LAの音になったり、NYのパワーステーションみたいな音になったり。例えば80年代のゲート・リバーブの音をいま聞くとカッコ悪いでしょ。

--- 確かにそうですね。僕は70年代のドラムの音を聞くといいなぁって思っちゃうんですけど。

鈴木:僕、あんまり思わないんですよ。70年代の音がいいなぁとは思わないの。(ヒップホップなどのダンス・ミュージックで使われる)ループのサウンドも大好きだし。

--- ハウスにも興味を持たれてるってインタビューでおっしゃってましたけど。

鈴木:いや興味っていうか、カッコイイと思ったらハウスの音でもいいわけだし。混ぜればいいんでね。

--- サンプリングも結構?

鈴木:もちろん、もうサンプリングです、全部。

--- 素材はどうされてるんですか? ここ(スタジオ)で叩いてもらったりとか?

鈴木:そういうのはあんまりやってないですね。市販のサウンド・ライブラリはいろいろ買い揃えて、すぐに使える状態にしてあります。いろいろ出てるじゃないですか。カシオのリズム・ボックスの音だとか、ローランドの昔の音だとか。そういうのの好きなやつを混ぜて使ってます。

--- では、次の質問です。最近いいなぁと思った若いアーティストはいますか?

鈴木:結構みんな良いですね。詞が良い人が好きです。まぁ詞が良いって僕の感覚で良いっていうだけなんだけど(笑)。

--- ぜひ「例えば」をお聞きしたいんですが。

鈴木:いやぁ、GReeeeNだとか、それからケツメイシだとか、FUNKY MONKEY BABYSだとか。男が多いんだよなぁ・・・。ちょっとヒップホップ系の、ラップっぽいんだけど、ニューミュージックの影響を受けてる、そういうのがイイですね。メロディがちょっとあるような。LOVE PSYCHEDELICOとか好きだったけど・・・、よかったですよね。ちょっと古いか?(笑) あと、STRAIGHTENER(ストレイテナー)とか。

--- え? ストレイテナーがお好きなんですか?(※ストレイテナーは結構バリバリなギターロックバンドです)

鈴木:好きだったんですよぉ! デビューちょっと前ぐらいのやつが、すんごい良かった。おれ最初にシモキタ(下北沢)でね、ある店でかかってたんで「何これ?」って(店の人に)訊いたら「インディーズ(のアーティスト)で、まだメジャー・デビューはしてないんですよ」って話で。そのすぐ後に東芝と契約して。その辺のやつが一番良かったような気がすんだけど。

磯マガおすすめアルバム その3

【CD】 『ダレか胃薬クレ。』 \3,150(税込) DNCA-2002
ダレか胃薬クレ。ジャケットも、アルバム・タイトルも、歌詞の内容も、ある意味、これまでの鈴木康博さんのイメージを覆すアルバム。ストレイテナーが好きだという意外とロックな一面が現れているのでしょうか。

インタビューでご自身が「ロックっぽいって言うと俗な言い方だけど」と仰っていますが、まさに、大人の骨太なロック・アルバムです。

最新スタジオ作『いいことあるさ』などでもそうですが、ループを使ったリズム・トラックなど、よく聴くとアレンジは確実に現代的。でもサラッと聴くと、「え? ループなんか使ってる?」と思うぐらい、楽曲に非常になじんでいます。

2004年リリース。

収録曲等の詳細はコチラ

インタビューPart7 今の夢は70まで歌い続けること

岸本:団塊の世代と言われてる方々、おうちにギターが押入れや物置の中に入ってたりするような、昔ギターもやってたような方にエールを送って頂きたいんですけど。

鈴木:もう音楽はホントにやればやるほど面白くなるから、途中であきらめないで、とにかくやり続けてください。やればやるほど、少しずつできることが増えてくるから、それがホントに楽しい。だから、音楽はやり続けて欲しいです。それから恥ずかしがらずに人前で披露することですよね。

岸本:それが若さの・・・

鈴木:若さの秘訣! 老化の防止策に! すんごいパワーになるらしいですよ、音楽をみんなで一緒に演奏したり、人前で披露したりすることって。そういうことが老人ホームなんかでも治療の一部になったりするらしいから。すごいですね、ホントに音楽の力って。

岸本:回想法って言って、お年寄りに昔の曲を歌ってもらったりっていうことを仕事でやってるんですけど、ホントに皆さん笑顔になりますし、若かった頃を思い出して元気になれるんです。

鈴木:回想するのがいいんですってね、昔の気持ちに戻るっていうのが。脳の活性化に音楽がすごい役立つって。

--- 予定の時間をだいぶ過ぎてしまって申し訳ありません。最後の質問です。「夢」っていう言葉が鈴木さんの曲の歌詞の中でよく出てくるんですが、鈴木さんの今の夢はなんでしょうか?

鈴木康博さん鈴木:(笑)。今の夢は70(歳)まで歌い続けることでしょう。加山雄三さんとかエレキ弾いてらっしゃるじゃない? 今まであんな人いないからね。70になってもまだああやってエレキ弾いて。

(ローリング)ストーンズなんかもそうだし、ポール・マッカートニーもこないだグラミー賞でやったりしてましたけど、いいよね、見てて。ずーっとやり続けてるっていうのはね。無いんですから、今までそういうのが(笑)。

伝統芸能のように同じスタイルを守ってずっと続けるっていう形は以前もあったと思うんだけど、常に新しいことを取り入れて、絶えず変化しながらずっとやり続ける・・・。でもポール・マッカートニーはポール・マッカートニーでしかないし、ストーンズはストーンズでしかないっていう。どう形が変わろうと、自分のやりたいようにやってきて、70近くなってもやってるわけだから。

形に囚われないっていうのかな。それがロックンロールっていう所以かもしれないけど。それこそ「ライク・ア・ローリング・ストーン、石がコロコロ転がるように」ね、やり続けるのがいいですよね、自分のやり方で。

--- 今日は長時間、ありがとうございました。



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