(続いて、磯子の話をして頂こうと、磯子の演歌歌手・水木昌平さんのコンサート記事をプリントしたものを鈴木さんにお見せします。小田和正さんのお兄さん小田兵馬さんがゲストで歌っている記事です。)
鈴木:僕や小田(和正さん)が音楽を始めたキッカケは実は小田のお兄さんなんですよ。お兄さんが合唱団で、それに影響されて小田が合唱かなんか始めて。僕はお兄さんから直接教わったわけじゃないんですけど、いろんな面でお兄さんの影響が結構強くて。
お兄さんがやっぱり音楽が好きで、アメリカのスタンダードの曲とか、洋楽のLP(レコード)なんかをハイファイのセットで・・・
--- ハイファイ・・・ですか?
鈴木:わかんないか(笑)。ステレオのオーディオ・セット。当時、流行り始めてたんですよ、でかいスピーカー置いて、オーケストラを聴かせてもらったりとか。そういう影響がすごいありましたね、いま思うと。
--- (続いて、浜小同窓会の記事をお見せしながら)浜小で鈴木さんの同級生だった方たちが6月に同窓会を開かれるそうですね。
鈴木:そうなんです。ツアーの最中なんで僕は出席できないんですけど。あ、僕、(昭和)35年卒なんですか?
--- はい。
鈴木:そうなの? 35年卒?
--- はい。だと思います(笑)。
鈴木:ははははは。そうなんだ(笑)
--- (今度は鈴木さんが小1のときのクラス写真をお見せして)この中に鈴木さんが写ってるそうなんですが。
鈴木:どこだろう・・・あ、コレだ!
--- やっぱり! 同級生の方も「これが鈴木君だよ、絶対!」っておっしゃってました。(浜小同窓会の準備打合せに出席していた方たちの名前をお伝えすると・・・)
鈴木:あ、太田早苗さん覚えてますよ! みんなの憧れだったんですよ。
--- 中学・高校も同じ学校だった小澤さんとは今でもお付き合いがあるんですよね?
鈴木:そうです、そうです。
--- こんな写真もあります。(と海に隣接していた頃の浜小の写真をお見せする)
鈴木:おぁーーーー、まだこっち海だもんなぁ。うわーーー、コレ。見覚えありますねぇ。懐かしいこれ。ほんと浜小学校だ。いやー、潮干狩りやってたんだもんねぇー。
岸本:校庭からすぐ海に行けちゃうなんて凄いですよね。
鈴木:そうなんですよねー。ホントに。(別の写真を見ながら)これ16号線ですね。市電とね、進駐軍のトラックとか、戦車やら何やら走ってたんですよね。
--- ところで鈴木さん、2歳下の弟さんがいらっしゃいますか?
鈴木:はい。
--- あ、やっぱり。今の磯子区長の守屋さんが鈴木さんの弟さんと同級生らしいんです。
鈴木:あ、そうなんですか!? へー。
--- それでは磯子時代のお話を聞かせてください。磯子にお住まいだったのはいつ頃ですか?
鈴木:たぶん5つのときに横須賀の追浜から引っ越してきたと思うんですよ。1953年ぐらいに。それが屏風ヶ浦幼稚園だと思います。八幡さまの神主さんがやってる幼稚園が屏風浦駅の近くにあって。
岸本:浅間神社ですか?
鈴木:そうですね。浅間神社の下に。はは(笑)、浅間神社ですね。なつかしい!
--- それから大人になっても磯子に?
鈴木:大学を卒業して一応25(歳)ぐらいまでいたと思います。ただ、いたって言っても、卒業してからは(音楽活動を始めていたので)ほとんどウチには帰らなかった(笑)。
--- 磯子の地図を持って来ました。お住まいだった場所はどの辺でしょう?
鈴木:磯子工業高校はどこなんだろ。その近くなんだけど・・・あ、ここだ。この辺、森5−15の・・・
岸本:篁修寺さんのそばだったとか。
鈴木:あ、そうです、そうです。お寺の谷戸地街っていうんですか。ひとつ山をはさんだ反対側。
--- 浜小学校は鈴木さんがお住まいだったところからは学区外だったと聞いているんですが。
鈴木:そうなんです。学区だと屏風浦小学校のはずだったんだけど、屏風浦小学校は1学年16組の二部授業になるって話があって。母親は、結構早くから(私立に)進学させたかったみたいで、生徒の少ない学区へっていうことで浜小に通うことになりました。
--- 浜小へは歩いて行かれてたんですか?
鈴木:行きは市電に乗ってった・・・と思う。(家から)白旗商店街を抜けて、白旗(しらはた)駅からですね。
--- 磯子は以前は磯子警察署のあたりが中心地で、今の磯子駅の周辺は「街」っていう感じじゃなかったそうですね。
鈴木:何にも無かったですね。海があって、潮干狩りができてっていう。で、料亭があって。邸宅みたいな、敷地の広い立派な建物だったんですけど(料亭だと知るまでは)「なんだろう」って思ってました。
--- 浜小の隣の偕楽園っていう名前の料亭が有名だったらしいですけど。
鈴木:偕楽園・・・? そうだ! 偕楽園ですよ。はいはい。
--- 駄菓子屋さんとか子どもが行くようなお店は近所にはありましたか?
鈴木:えーっと、白旗商店街にあった気がするなぁ。京浜急行のガードがあって、その下にちっちゃいお店があって、それが駄菓子屋だった気がする。
その店でお菓子っていうか、あの頃は、よくあるサッカリンの効いた砂糖菓子だとか。色がドギツイやつね。あと、お好み焼きの皮だけの・・・、薄皮だけのお好み焼きにソースつけて、みたいな。紅しょうがが乗ってるだけみたいな(笑)。母親から「食べちゃだめよ」なんて言われて。そういうのがありましたね。はは(笑)。
--- 屏風浦の海で泳いだりも?
鈴木:泳がなかったなぁ。さすがにもう汚いから。親父が京浜急行(勤務)だったんで、泳ぎに行くときは馬堀海岸(横須賀市)まで行ってました。「そっちの方がいいよ」って言って連れてってくれて。 |