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パレ・ド・バルブの宮内オーナー・シェフら、福島へ

2014年6月12〜13日取材
久しぶりに遠距離取材してきました。行き先は福島。新杉田のフランス料理店「パレ・ド・バルブ」の東北被災地支援の取材です。

パレ・ド・バルブの東北支援は、これが初めてではありません。2011年の8月には岩手県の陸前高田・大船渡の炊き出し旅行に同行取材しましたが、今回は福島県。津波や揺れによる直接的な被害はなかったものの、福島原発が爆発して今も避難を余儀なくされている飯館村の人たちとの交流会です。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
参加したのは、パレ・ド・バルブのスタッフ3名、姉妹店バルブ・ブランシュ(馬車道)のスタッフ2名、計5名です。
6月12日(金)のランチ営業を終え、一行はレンタカーで福島へ向け出発。お店は翌13日(土)も臨時休業です。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
磯子マガジンは都合で後から新幹線で福島入り。写真は福島駅の新幹線ホームです。
宿泊した福島駅前のホテルにはこんな張り紙が。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
さあ、翌朝です。いい天気。磯子マガジンは、福島駅から列車に乗り、南へ15分ほどで目的地の松川駅に到着。ちょうど横浜駅から根岸線で磯子駅に行くのと同じくらいの乗車時間ですね。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
向かうは、松川雇用促進住宅。そこに、飯館村の人たちが避難しているのです。
住宅の近くには小学校と中学校があります。通学する子ども達と一緒に、てくてく・てくてく、数十分。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
歩くほどに街並みが減り、福島の大きな大きな自然が広がります。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
見えてきました!白い建物が松川雇用促進住宅です。
2棟80戸のうち37戸が飯館村から避難してきている人たちの仮住まいです。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
集会室として使っている家。皆さんの住まいも、ここと同じ間取りだそうです。
このマイクロバスで、交流会場に向かいます。
今回、飯館村の人たちと、バルブの人たちの交流会が開かれる会場は、「りょうぜん里山がっこう」という場所。そこで、「バルブの料理教室&フランス料理タイム」、「飯館村のひとたちとの交流タイム」などが行われます。

「りょうぜん里山がっこう」ってなんでしょう?
りょうぜんというのは地名です。漢字で書くと霊山(伊達市)。飯館村の隣にあります。
里山がっこうというのは、本当の学校ではなくて、里山を学んだり体験したりする施設、という意味です。宿泊施設もあります。磯子マガジンの理解では「山の田舎暮らしを体験できる林間学校みたいな場所」です。

松川雇用促進住宅に避難している飯館村の人たちは、もともと隣の地域ということもあって、りょうぜん里山がっこう(以下、里山がっこう)の存在自体は知っていたそうです。それが、震災をきっかけに交流が始まり、今は年に2回ほど皆で里山がっこうを訪れ、楽しいひとときを過ごすんだそうです。

一方、パレ・ド・バルブの宮内オーナーは、知人に里山がっこうを紹介され、昨年6月に訪問しています。その際、宮内さんからの「原発問題で苦しむ福島の皆さんに、ひとときでも楽しい時間を提供したい、何かできることはないか」という申し出に、その後、里山がっこうから「飯館村の人との交流会を」という提案があり、今回の交流会が実現しました。

関連リンク
りょうぜん里山がっこう公式サイト
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
今回は参加者約20名。約8割が女性です。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
雇用促進住宅に避難している飯館村の人たちのリーダーが菅野敬(かんの・たかし)自治会長。明るく楽しく、皆さんをひっぱります。
福島の緑の中を駆け抜け、里山がっこうまでは約40分。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
無事到着! 出迎えてくれたのは里山がっこう理事長の野金助さん(左)。
この建物は、むかしむかしは中学校で、のちにニット(メリヤス)工場になり、さらに時を経て現在の姿・里山がっこうになりました。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
校舎の中では、前夜、里山がっこうに宿泊した宮内さんはじめバルブ・スタッフが、
既に忙しくフランス料理の準備中
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
そして交流会がスタート。まずは自己紹介から。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
料理実習室に移動し、家庭でできるフレンチの技術を生かした料理教室。その後、バルブで用意したフランス料理に、皆さん自身で作ったフランス料理を加えてのお食事会と続きます。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
食後は全員で交流会。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
飯館村の人たちが、震災の体験や、今も続く避難暮らしのつらさなどを話してくださいます。「なにも悪いことをしていない自分達がなぜ・・・」という無念さが伝わってきました。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
イベントの締めくくりは、里山がっこうの裏にある畑で農業体験。と言っても、参加した飯館村の人たちは、ほとんどが農業が本業。都会の人たちには、里山がっこうの先生から作業の仕方の説明があるのですが、「今日は説明はいらないね(笑)」ということで・・・
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
どんどんすいすい、さやえんどうを収穫していく皆さん。さすが!
バルブの最年少スタッフ小谷さんが、里山がっこうの野理事長と何やら談笑。こういうひとときが実に貴重なんだと思います。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
予定行事はすべて終了! 最後に里山がっこうの宿泊施設の前で記念撮影です!
皆様お疲れ様でした!
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
さようなら〜。またいつか。
フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援 フランス料理のバルブ・グループ、スタッフ全員で福島被災地支援
バルブのスタッフは私服に着替え、今日の感想などを里山がっこうの皆さんと語ります。
そして再びクルマに乗り、磯子区へ。磯子マガジンだけはまたも都合で新幹線で帰郷です。福島駅でお別れ。お疲れ様でした!!!
ということで、あっという間に終了した交流会。磯子マガジンは無理を言って、飯館村の人たちに、行きのバスから同行させて頂きましたが、大変あたたかく迎えて頂き、楽しく取材をすることができました。

震災から丸3年が過ぎて4年目を迎え、それでもまだまだ先の見えない避難生活が続く皆さん。どうしたものだろうと思います。少なくともわれわれは「今の状態はおかしい、なんとかしろ」と、行政や議員や東京電力に言い続けることが必要なんじゃないかと思います。細かい難しいことは専門家に対策してもらうとして、大きな方向性として「今の状態はおかしい」と言い続けることが必要なのではないかと。だんだん言わなくなっちゃうと、「もういいんだ」と思われちゃいますからね。
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