バルブのスタッフ一同、東北で炊き出し
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2011年8月7日、8日取材 |
パレ・ド・バルブ(新杉田)などフランス料理店3店舗を展開するバルブ・グループが、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の陸前高田市・大船渡市を訪れ、炊き出しを行いました。
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今回の炊き出しは、岩手県花巻市の石黒農場と、バルブ・グループとのお付き合いが縁で実現しました。
石黒農場では、フランス料理によく使われるホロホロ鳥を生産しており、バルブ・グループは数年前から、石黒農場のホロホロ鳥を仕入れています。
東日本大震災後、バルブの宮内オーナーは、石黒農場の石黒さんに「なにか、できることはないですか」と電話を入れたそうです。石黒さんは、バルブ・グループと同様に石黒農場のホロホロ鳥を使っている岩手県のレストラン「ロレオール」(奥州市)の伊藤オーナーシェフに連絡を取り、その結果、ロレオールの厨房を拠点にして、陸前高田と大船渡で炊き出しを行うことが決まったのです。
●1日目 午前2:30 (=8月7日未明) 馬車道のバルブ・ブランシュを出発 |
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土曜日の通常営業を終え、3店舗のスタッフがバルブ・ブランシュ(馬車道)に集合。磯子マガジンも含め、総勢11名で出発です。 |
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夜が明け始めた頃、東北道では事故で宇都宮−矢板間が通行止め。ひとつ手前の鹿沼ICでいったん高速を降りしました。 |
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通行止め区間を過ぎて東北道に戻ってからも、霧がたちこめたりしました。 |
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そしてとうとう、目的地「前沢」の名前がカーナビに表示されました。 |
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出発から約8時間、平泉前沢IC(インターチェンジ)で東北道とお別れです。 |
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ICから5分ほどで、レストラン「ロレオール」に到着しました。ここが炊き出しの拠点になります。 |
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今回の炊き出しの旅で、重要な役割を果たした一人が、写真の玉森仁浩(たまもり・きみひろ)さん(46歳)。普段は、磯子区のタクシー会社「エヌケイキャブ」に所属するタクシー・ドライバーです。
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休日は、全国各地の灯台めぐりにハマっているそうです。遠く青森までひとりドライブしたことも。 |
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今回の炊き出しは、土曜日にバルブ各店舗が通常営業を終えた夜に出発し、日曜・月曜と2日間、炊き出しを行って月曜の深夜に横浜に帰着。火曜からは通常の営業に戻る、というかなりの強行軍。バルブのスタッフが、横浜から東北までの移動の運転もするのはかなり大変、と困っていたところでした。
そんな中、普段から地域活動にも熱心で、NPO法人コミネット・ヨコハマの理事も務めているエヌケイキャブの及川社長に相談したところ、社内でボランティアをすぐに募ってくださり、そこに立候補したのが玉森さんだったのです。
玉森さん、さすがプロのドライバー。運転がスムーズなのは当たり前で、途中で遭遇した高速道路の通行止めトラブルも、的確な判断で早めに高速を降りて最速ルートを割り出すなど、同乗したバルブのスタッフや磯子マガジンは、リラックスして移動時間を過ごすことができました。
10月28日追記
先日、お仕事中の玉森さんの写真を撮影させて頂きました。最近は、後ろに見える黒い大きなタクシーで、羽田空港のあたりを中心に走っているそうです。運賃は普通のタクシーと変わらないそうなので、旅行や出張帰りに見かけたら、ぜひご利用を。 |
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●1日目 午前10:00すぎ 1回目の炊き出し準備スタート
レストラン「ロレオール」に着いた一行は、手早く荷物を降ろすと、厨房へ直行。炊き出しのための調理が始まります。 |
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左端がロレオールのオーナーシェフ・伊藤勝康さん。バルブのシェフたちと共同作業です。 |
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この日、ロレオールは通常の営業日。「そんな日に厨房を貸してもらえるなんて普通はまずありえないです」とバルブの宮内オーナー(右端)。 |
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レストラン「ロレオール」は、岩手県奥州市にあるフランス料理店。岩手県の内陸部にあり、近くには6月に世界遺産登録が決まったばかりの平泉があります。
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店内からの眺めは、まるで一枚の絵画のよう。ここでゆっくり食事をしてみたいです。 |
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靴を脱いで食事をする「床の間式」のテーブルもあります。 |
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ロレオールのある場所は、海までクルマで2時間弱かかる内陸部なので、津波の被害はありませんでしたが、臨海部の被害に心を痛めた伊藤オーナーシェフは、お店の定休日を利用してほぼ毎週のように各所で炊き出しなどの支援を実施。また、今回のように、関東その他の地方からやってくるレストラン関係のボランティアの人たちに、厨房を無償で提供することも少なくないそうです。
お店の壁には、ロレオールを拠点に支援活動を行った人たちのサインが、たくさん書き込まれていました。そして、バルブの宮内オーナーと各シェフのサインも、そこに加えられました。 |
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1日目 午後2:00 ロレオールを出発。陸前高田へ
100人分の夕食を作り終えた一行は、ロレオールのスタッフの方も加えてクルマ3台に分乗し、初日の炊き出し場所である陸前高田市へ向かいます。 |
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ロレオールのある前沢から陸前高田までは、かなり距離があります。特に渋滞は無かったのですが、山道を越え、2時間弱かかりました。 |
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訪れたのは8月7日ですから、震災が起きてからほぼ5ヶ月。それだけ経っていてもこの状態です。がれきを何箇所かに集める作業が進んでいましたが、集めた後の行き先が無い、とのことでした。バルブのスタッフも、この惨状を目の当たりにして、車内は無言になってしまいます。
1日目 午後3:50 陸前高田サンビレッジ到着 |
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午後4時頃、総合スポーツ施設「サン・ビレッジ」に到着。ここが1日目の炊き出し会場です。津波被害があった場所から少し離れた高台にあります。一時は百数十人が避難していましたが、その後、ほとんどの人が親類・知人の家や仮設住宅などに移り、8月7日の時点で残っているのは数組とのことでした。 |
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用意するのは晩ご飯100食。テキパキと準備が進みます。 |
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サン・ビレッジの体育館をぐるっと囲むように、仮設住宅が建っていました。ただ、体育館に避難していた人が皆、この仮設住宅に移ったわけではなく、別の避難所からこの仮設住宅に来た人も多いそうです。避難所から仮設住宅に移るとき、近いか遠いかは関係なく、公平に入居していくとのことでした。 |
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1日目 午後4:55 炊き出しスタート
サンビレッジ到着から約1時間。お弁当ボックスへの取り分けがかなり進んだところで、陸前高田の人たちが一人、また一人と、食事を受け取りに姿を見せ始めました。 |
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お弁当ボックスにフランス料理が盛り付けられていきます。 |
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午後5時頃から、「気仙リバース」ほか、陸前高田の複数の少年テニスチームの子どもたちが訪れ始めました。お弁当が配られ、臨時の食事テーブルでおいしそうに食べています。(全部で約45人の小中学生のうち、約半数は自宅が津波で流されてしまったそうです。) |
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テニスチームの子どもたちのほかに、周囲の仮設住宅の方たちにも配られました。 |
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ある子どもは「おいしかった、やわらかい味がしました」と感想を述べ、それを聞いたシェフは、「的を射ている!」と驚いていました。食後、子ども達からバルブのスタッフにお礼の挨拶(右写真)。 |
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無事、初日の炊き出しが終わり、記念撮影。左端は、一本松プロジェクト代表などの要職を務めている、陸前高田市の菅野さん。そして、菅野さんとバルブ・スタッフの間にいるのは、石黒農場の石黒さん親子とお友達親子、それにロレオールのスタッフの方です。 |
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ちなみに、1回目の炊き出しフレンチ・ディナー・ボックスには、次のようなお料理が並んでいました。
○牛ホホ肉の赤ワイン煮込み
○ミネストローネ
○トマトサラダ
○ガトー・ブルトン
○ライスとお新香
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1日目 午後5:50 再び、海へ
初日の炊き出しが無事終了し、ロレオールのスタッフの方の案内で、再び、津波被害が大きく残る海辺へ。 |
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一見、無事だったように見える大きなホテルも、1階から3階あたりまでの下層部分は、津波による大きな被害の跡が残っています。 |
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一行は海辺でクルマを降り、被害の大きさを間近で目撃。見上げるような高さのガソリンスタンドの看板(左写真)も、津波で壊れていました。 |
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たくさんの壊れたクルマが一箇所に集められていました。 |
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そんな中、ひまわりが咲いていました。(走るクルマの中から撮影したのでブレています) |
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有名になった海辺の一本松のほかにも、少し内陸側に別の木が一本、ポツンと立っていました。 |
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下の2枚の写真は、炊き出しに参加したメンバーの中で最年少、ランチタイムのパレ・ド・バルブでアルバイトをしている19歳の宮内瑛理香さん(宮内オーナーの姪っこさん)が陸前高田で撮影したもの。
横浜に戻った後、瑛理香さんに、今回の炊き出しの感想を聞きました。
「テレビだと視野が限られていてわからなかったけど、実際に被災地を訪れたら、陸前高田は見渡す限り建物とかがほとんど何も残っていなくて・・・、未だに片付いていないところもたくさんあって・・・、言葉が出ませんでした。
炊き出しのときは、緊張したけど、皆さんが優しくて、ありがとうって言われて嬉しかったです。自分より小さい子も被災していたのでびっくりしたけど、その子たちがとても元気で、力をもらえる感じがしました。」 |
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1日目 午後8:20 ロレオールで夕食
最初の炊き出しを終えたチーム・バルブは、再び約2時間弱をかけてロレオールに戻り、後片付けと明日の準備をした後、ロレオールの伊藤オーナーシェフと夕食。 |
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右の写真が伊藤オーナーシェフ。ロレオールをオープンする前は、千葉のレストランにいらしたそうです。 |
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夕食後は、この日の最後の移動。ロレオールから約1時間ほどで、花巻温泉の中嶋旅館(右写真、ただし翌朝に撮影)に到着しました。温泉につかってから、みなさん爆睡。 |
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花巻温泉に宿をとったのは、炊き出しのコーディネイトをしてくださった石黒さんの石黒農場が花巻温泉の隣接地にあるからです。もともとは、農場を見学してから宿に行く予定でしたが、あまりに夜遅くなったので、見学は翌朝に変更されました。
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2日目(8月8日)午前6:30 石黒農場へ |
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これがホロホロ鳥。アフリカ原産です。アフリカはフランスの植民地だった地域が多かったので、フランス料理にホロホロ鳥が重用されるようになりました。ちなみに、石黒農場は、日本で唯一のホロホロ鳥の生産農家だそうです。温泉の熱のおかげで、東北でもアフリカ原産の鳥を育てる環境が作れるとのこと。詳しくは石黒農場公式サイトで。 |
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農場に面した山では、ご覧のとおり、余震でがけ崩れが起きたそうです。 |
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2日目 午前9:00 ロレオール発、大船渡へ |
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さぁ、2回目の炊き出しの準備が始まりました。この日は月曜日でロレオールは定休日。伊藤オーナーシェフも炊き出し先の大船渡に同行してくださいます。 |
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今日も山道を越えて。行き先は大船渡。陸前高田の北隣の町です。 |
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陸前高田より、残っている建物の数は多いのですが(大船渡の方が、鉄筋建物が多かった?)被害はやはり甚大。 |
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線路が曲がっています。こんな状態では、復旧も簡単ではありません。 |
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港の周辺。このあたりには、水産加工場がたくさんあったようです。 |
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國洋では、漁船に氷を販売する事業も行っています。獲った魚を冷やすための氷です。 |
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國洋の工場内部。イカの加工をしています。炊き出しは、この方たちのお昼ごはんです。 |
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株式会社 國洋は、水産食品の加工会社。大船渡の、本当に海のすぐそばにあるこの工場は、炊き出しの約10日前、7月30日に営業を再開したばかりとのことでした。そしてこの時点で、大船渡で営業を再開している会社は他にもう1社あるだけでした。
國洋の浜田社長は「震災後すぐに復興を決意した」と力強く話してくださいました。復帰人員は社員15名、パート51名。以前は全部で200人ほどが働いていて、山田町にも工場があったそうなので、だいぶ人数は減ってしまいましたが、それでも復興の第一歩。明るいニュースです。イカリングやイカフライなど、イカの加工を主力事業にしており、スーパーのお惣菜として売られることが多いそうです。
2日目 ひる12:00 國洋のお昼ごはんの時間です |
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容器によそったお昼ごはんは、工場入口そばのこのスペースで皆さんに配られます。 |
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こんな感じです。カレーにはホロホロ鳥が入っています。 |
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別棟の休憩コーナーで皆さん、楽しいお昼ご飯。磯子マガジンも、いろいろ楽しくお話させてもらいました。 |
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この日のメニューは・・・
○石黒農場で育ったホロホロ鳥のカレー風煮込み
○ジャガイモの冷製ポタージュ
○野菜サラダ
○フルーツポンチ
○ロレオール特製 前沢牛のサーロイン・ステーキ
それでは、“パートのお姉さま方”が口々に教えてくださった「炊き出しフレンチ・ランチ・ボックス」の感想の一部をご紹介いたします。
「最高」「おいしいです」「こんなの食べたことない」「肉がとろける」「ホロホロ鳥がやわらかい。肉は苦手なんだけど、これなら食べられる」「六十年生きてきた中で、一番オイシイ!」「辛さもちょうどいい」「私はもう少し辛い方がいいかな」「すごい、おいしい」「前沢牛、名前は知ってるけど食べたのは初めて。おいしかった!」などなど。
おひとり、辛さに関するご要望があっただけで、それ以外は全て絶賛の声でした。ありがとうございました。そして、食事の感想だけでなく、いろいろお話をさせて頂きました。皆さんからは、直接的な言葉でなくても、元気な表情や話しぶりから「久しぶりに働く喜び、充実感」がびしばしと伝わってきて、こちらもとても楽しいひとときとなりました。
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というわけで、予定していた2回の炊き出しは、好評のうちに無事終了。あとはロレオールに戻って後片付けをし、一路横浜・磯子へ・・・のはずなのですが、ここで磯子マガジンだけワガママをさせて頂きます。ひとり、気仙沼に寄ってから列車で磯子に戻ることにさせて頂きました。
というのも、杉田の商店街が支援している気仙沼の町を、宮内オーナーは一度訪れていますが、磯子マガジンは訪れていない。そして、これを機会に、杉田から気仙沼に夏服が届いているか見届けたい。また、陸前高田と大船渡は岩手県で、気仙沼は宮城県、県は違うのですが実は両者は隣町なので、気仙沼に寄ってからでも、なんとかその日のうちに磯子に戻れる、というような理由があったからです。
2日目 午後3:00 皆さんと別れ、気仙沼へ
そんなわけで、大船渡からロレオールに戻る途中で少し迂回して頂き、JR大船渡線の摺沢(すりさわ)という駅のそばでクルマから降ろして頂きました。皆さん、お疲れ様でした。磯子マガジンは列車で気仙沼に向かいます。 |
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摺沢駅から列車で気仙沼に向かいます。10人以上の団体行動だったのが、急にひとりになったので、寂しくなりました。 |
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被災地では、支援ボランティアへの呼びかけ看板を、大きな道路沿いなど、さまざまな場所で眼にしました。これは摺沢駅ホームのもの。 |
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列車に乗って約45分(電車ではありません、架線はありません、ディーゼル車です)、午後4時過ぎに気仙沼駅に着きました。 |
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駅前を見る限りは、特に津波被害を感じませんが・・・ |
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海の方へ向かって15分ほど歩くと、大きな被害を受けた建物がたくさんありました。 |
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同じ場所で8月8日に磯子マガジンが撮影。建物入口にあるガレキが無くなっている以外は、大きな変化はありません。 |
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復興を感じられる光景もありました。営業を再開した居酒屋さん。 |
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実は、これらの写真を撮影した気仙沼の南町のあたりは、さらに海の近くのエリアに比べるとわずかですが被害が軽かったそうです。本来なら、海のほうも見ておくべきだったと思うのですが、仕事の都合で今日中に磯子に帰ることが最優先だったため、それはあきらめ、杉田の商店街が応援している、南町の商店街の人たちに会うために、紫神社という場所に向かいます。 |
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紫会館には、気仙沼南町の商店街(杉田が応援している商店街)の皆さんが避難していました。 |
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紫会館の敷地内に設置されたテントの中に、プララで募集した夏服が保管されていました。あの夏服は、間違いなく気仙沼に届いていました。 |
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千葉会長に、仮設商店街の進み具合について状況を伺うと、8月にオープンを目指していたが、諸事情で遅れているとのこと(その後の最新情報ではオープンは11月頃にずれこむ公算が大きいそうです)。また、最初の予定地だった信用金庫跡地は仮設店舗を建てられないことがわかったので、道をはさんで反対側のスペースを使うことになりそうだと、教えてくださいました。
その場所の写真がコチラ↓ つい最近、9月9日に放送されたNHKのテレビ番組『明日へ 再起への記録』でも取り上げられていた場所です。 |
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ここが、もともとは仮設商店街の建設予定地だった信用金庫跡地。でも法律の壁で、仮設商店は建てられないと発覚。 |
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結局、道をはさんで反対側のこの場所に建設することに。 |
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さぁ、磯子へ戻るためのタイムリミットが近付いてきました。千葉会長にお礼とお別れの挨拶をして、気仙沼駅へ向かいます。 |
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夕方6時に気仙沼駅を出発する列車で帰路へ。これを逃すと、今日中に磯子に帰れません。 |
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バスのように回数券方式。料金箱もあって、運転手さんだけのワンマンカーでした。 |
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内陸部の終点・一ノ関駅に着いたのは7時半ごろ。ここから新幹線(やまびこ)で東京に戻り、京浜東北線で磯子へ。帰り着いたのは深夜12時を過ぎ、日付が8月9日(火)に変わった後でした。
後で聞いたところ、クルマ2台の宮内さんたちバルブ・チームは、夜12時ごろはまだ首都高を走っていたとのこと。新幹線は速いんですね。
もちろん、バルブ・チームもその後、無事に磯子に帰着したそうです。お疲れ様でした! |
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