グローバルの野木社長、清水宏次朗さんとのバンド時代を語る

2007年11月作成
磯子駅前、GEOのあるアイランド・ビル内グローバルの野木三平社長は元プロのドラマー。さまざまなバンドで活躍していました。その中でも今回は、歌手・俳優の清水宏次朗さんのバックバンドでリーダーをつとめていた頃のお話を伺いました。


--- 清水宏次朗さんとの出会いは?
僕がブルーベリー・ジャム(※)っていうバンドにいたときの音楽プロデューサーに紹介されたんですね。宏次朗は既に歌手デビューしてて、何枚かシングルも出してたんだけどうまくいかなくて。で、再出発に当たって、リーダーとしてバンドをまとめてくれって言われたんです。

ブルーベリー・ジャムは70年代後半から80年代初頭に活躍したバンドで、メンバー全員がボーカルをとれるというコーラス・グループ。野木社長は79年に加入。ベーシストの渡辺英樹さんは後にC-C-Bを結成し、リーダーを務める。
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清水宏次朗さんと野木社長
左が清水さん、右が野木社長
--- 清水さんに最初に会ったときの印象は覚えていますか?
まだ、映画『ビー・バップ・ハイスクール』で話題になる前だね、彼が20歳前後のころかな。いや〜、輝いてましたね。オーラがあった。ルックスもね、「なんでこんなキレイな男の子がいるんだろう」って思うくらいの。とにかくビックリして、絶対売れると思った。光るものがありましたね。
彼は当時ね、「ライブハウスの郷ひろみ」って言われてたんですよ。アイドル並みのルックスでロックやってたってことで。新宿ルイードなんかでやってた頃ね。手足が長くて器械体操もやってたから、ステージでバック転とかやったりね。

--- バンドのメンバーは?
いろいろ入れ替わりましたね。スタジオミュージシャン系で。最初の頃のメンバーの中には、後に女優の杉本彩さんと結婚したギタリストがいた。今は別れちゃったらしいけど。あと、四人囃子のギタリストだった佐藤満も一時期、メンバーだった。
作曲はいろんな作曲家の人がやってましたけど、渡された曲のアレンジはなるべくヘビー・サウンドにっていう色付けをしてました。宏次朗本人もロックを志向してたしね。メロディーが歌謡曲風のものが多かったから、なかなか難しかったけど。
作曲は最後の方は織田哲郎一本。当時、織田哲郎は売れてましたねぇ。TUBEの曲とかね。彼もブレーンの一人だったんで、宏次朗のツアー前には、どういうコンセプトでやるのかって打合せたりしてました。

--- 思い出の曲は?
やっぱり『Love Balladeは歌えない』(1987)(※)。僕は、この曲が最後で音楽業界を引退しました。
あの曲はレコードではドラムが打ち込みだけど、ライブでは自分で叩いてましたね。宏次朗と一緒にやった中で、一番ロックな曲だよね。あの曲で『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)に出たときの宏次朗はかっこ良かった。すごくかっこ良かった。あれが売れてればなぁ(笑)。でも売れなくて良かったかな? 結果的に早く引退できたから(笑)。

※『Love Balladeは歌えない』(作詞・松本隆、作曲:織田哲郎)は2002年、氣志團の『恋人』とのカップリングで再発されました。

--- 清水さんとのバンド時代に印象に残っている出来事はありますか?
一番衝撃的だったのは、タイの放送局が主催した年末のカウントダウンのロックフェスに招かれたとき。タイでは宏次朗のCDがリリースされてて、「日本のロックシンガーが来る」っていうんで話題になって。で、大晦日にカウントダウンのライブを生中継でやる予定だったんですけど、ドタキャン。原因は食中毒(笑)。僕ら、タイの病院に入院ですよ。メンバー5人のうち、宏次朗と僕とギタリストの3人が入院したんだよね(笑)。で、大晦日は急遽別の番組に変更になって。

清水宏次朗さんと野木社長
これが入院直前のビーチでの写真です
これはそのときのパタヤ・ビーチでの写真。12月29日かな。ビーチに向かう途中で、あまりキレイではない(笑)レストランに入ったら、出された水がちょっとドブ臭かったの。その夜に発熱しました(笑)。だから正確には食中毒じゃなくて水あたりですね。これが水あたりになる直前の、最後の元気な写真(笑)。

でもね、そんな状況だったんだけどコンサートはやったんですよ、1月2日に。それから帰ってきた(笑)。

--- あ、中止じゃなくて延期になったんですね。じゃ、お客さんのいないスタジオでの番組だったんですか?
いや、スタジオだったんだけど、お客さんはいましたね。500人くらいいた。そんなイベントが2日後にやり直せるんだから、タイはすごいよね(笑)。

--- ところで清水さんは横浜出身ですか?
いや、違うんだけどね、でもリハーサルを本牧のブギーカフェの隣のブギースタジオでやったりね。ほとんど横浜でリハーサルやってたの。宏次朗も山手駅の近くに住んでたこともあったしね。だから彼は横浜にも縁が深いんだよね。

あ、そうそう、CHIBOちゃんと宏次朗が一緒に『Stand by me』を歌ったこともあったな。CHIBOちゃんと一緒に歌ってるうちに、途中で宏次朗も歌がうまくなってきてね。CHIBOちゃんはボーカルに迫力があるからね、その影響でその場でうまくなっちゃった(笑)。あれはもう僕が音楽を辞めて不動産業を始めてた頃だね。ある人の誕生日会を関内のストーミー・マンデーでやったときなんだけど。そのときにミッキー吉野さんがピアノを弾いたと思うよ。僕も久しぶりにドラムを叩かせてもらって。ギターは元ジャガーズの沖津ひさゆきさんじゃなかったかな。

--- それは豪華なセッションですね。僕も見たかったです。今日はどうもありがとうございました。
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李世福さん、CHIBOさんと野木社長
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