ア行
アレンジ 【あれんじ】
いつものアレンジャーさんに頼めば、イメージ通りかそれ以上に仕上げてくれる。ただ・・・
菜々子談 エソラビトはジャンルでいうとポップス(J-Pop)だと思うのですが、ロックやジャズっぽくなったり、アレンジ次第でいろんなアプローチができます。
私はアレンジができないので、いつもアレンジャーさんにお願いしています。依頼の方法ですが、まずはピアノ伴奏と歌のみの音源を自分で作って、アレンジャーさんに渡します。そのときに歌詞とコード進行、そして曲のイメージも伝えて、アレンジしてもらいます。
私は、ほとんど同じ方に頼んでいるので、細かく伝えなくても、いつもイメージ通り(またはそれ以上)に仕上げてくれます。「これは意外!」っていうのは実はそんなにないのかも・・・。
ただ、間違いから生まれた奇跡のコーラスアレンジがあります! 「フラッシュバック」という曲のレコーディングで、コーラスを録っていたときのこと。サビ頭 ♪あの日あの時・・・ のコーラス部分を、間違えて、思っていたのとは別の場所にコピペしてしまい、「ここじゃない」と笑っていたのですが、頭の中でぐるぐると「フラッシュバック」してるイメージになり「まさに曲のタイトル!」と、その間違ったアレンジが採用になりました。
「フラッシュバック」は現在発売中のコンセプトアルバム『In & Out』に収録されているので、ぜひ、聴いてみてくださいね♪
◎エソラビト公式オンラインショップでお買い求めになれます。
https://shop.esorabito.com/items/26232483
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池上幸太朗(JOJO)【いけがみ・こうたろう】音楽クリエイター(作編曲、ギター等)
元エソラビト。現アレンジャー&サポート&バンマスなどエソラビトに絶対に欠かせない存在。同じ事務所になる前から超過酷な旅や挑戦を一緒に頑張ってきた貴重な音楽仲間です。
友達と言うよりも感覚的には血が繋がった家族くらいの感覚かもしれません。
優しくて丁寧なので、いつも安心して音楽的な部分をお任せしています。元々、彼のギターのファンでメンバーに即誘いました。今でもファンです。
(2022.3)
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映画音楽 【えいが・おんがく】
ただいま制作中
菜々子談「私はスタジオジブリの作品が好きです。ジブリの音楽と言ったら久石譲さん。子供の頃からジブリ作品の中で流れる音楽はたくさん聴いてきたし、歌ったり、ピアノで弾いたりしてきました。
久石譲さんと言えばジブリのイメージが強いかな? と思うのですが、私が人生の中で衝撃を受けた映画の音楽も久石譲さんが担当されていました。
その作品は、北野武監督の作品『Dolls』(ドールズ)。
とても台詞が少ない映画です。だからこそなのか、音楽と映像から苦しさ切なさ儚さが、とてつもないくらい伝わってきて胸が詰まります。とてもとても美しい作品です。当時、映画館で観ていて心をぎゅっと掴まれたことを覚えています。
そして、子どもの頃から聴いていた久石譲さんの音楽の素晴らしさを再確認し、本当に天才だ・・・と思いました。音楽によってその場面がより濃く表現されて心が動かされる。その音によって涙が出る、グッとくる。いつか映画の音楽を作りたいなぁ、という気持ちが芽生えたのもこの作品を観たからかも?
です。
それからだいぶ月日が経ちましたが、最近、ファンの方から自主制作映画の音楽をまるまる担当して欲しい! とご依頼いただき、初めて主題歌から劇中に流れる音楽まで制作をすることになりました。とてもやりがいがあります。作品がより感動的になるように制作頑張ります!!
また、上映する場所などが決まりましたら、こちらでもお知らせしますね。」
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弟 【おとうと】
ふたり姉弟の、4歳ちがいの弟。
職業:レコーディング・エンジニア & アンティーク機材販売
几帳面な性格で、器用。
菜々子談「私が小学校を卒業するくらいまではよく一緒に遊んでいました。ピアノ教室にもよくついてきて。高校生から軽音部でギターボーカルをやっていたので、音楽の話は当時からよくしていました。最近では、エソラビトのレコーディングやミックスマスタリング、ホールワンマンライブのステージなども手伝ってもらっています。
料理もなかなか上手くて、弟が作る炒飯と生食パンは絶品。昔は姉や妹がいたら、一緒に買い物に行ったりもっといろんなところへ遊びに行けたかも!と思っていたけど、最近は2人姉弟で良かったと思う。仲はいいです。」
カ行
椛島恵美【かばしま・えみ】シンガーソングライター
肩の力を抜いて本音で話し合える存在で、一緒にいると前向きになれます。何でも積極的にやってみよう!精神を持っていて柔軟な人なので、楽しそうなことを見つけると「これやってみない?」と一番に声をかけてます。力強くしなやかで天に突き抜けるような歌声は、彼女の心の中そのまんまだなぁと思います。困難を乗り越えてプラスに変えてきた強さと優しさがそこにしっかりあります。音楽パートナーとしても友達としても最高に居心地の良い人! eminanaとしても半年間一緒に活動してました(今もたまに復活)。
(2022.3)
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声質 【こえしつ】 音楽をはじめた頃、特徴がないとずっと思っていた。耳心地の良い声、綺麗で真っ直ぐな歌声と言われることが当時はコンプレックスだった。
活動を続けていく中で、その声を保ち歌い続けることの大変さに気付く。そこからは、「綺麗な声」といわれることが「努力の証」と感じるようになり嬉しくなった。また、自分の個性として強みになると気付けた。(そもそも特徴がないわけではなかったらしいけど、分かってなかった)
菜々子談
●現在の歌い方や声:低いところから高音までストレスのないつるっとした心地よい歌声を届けたい。曲によって歌声のキャラクターを変え、表現したいので、意識をして変えています。
●一緒に歌う時に合う人・合わない人:とくに感じたことはないです。たとえ合わなくても、相手と合う歌い方を歌いながら一緒に調整して、いいハーモニーを作りたいと思ってます。
サ行
ジャケット 【じゃけっと】
音をビジュアル化する際のこだわり
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『 ココロネ』のジャケット |
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『Spiral』のジャケット |
わりと見てすぐ分かるような、分かりやすいジャケットにしています。
例えば『ココロネ』は、心の根、心の音とかけたタイトル(コンセプト)なので、ジャケットは大きな木の根っこがみっしり張った場所で座っている写真を使っています。
『Spiral』では、螺旋階段から上を見上げるようなジャケット。人生は螺旋階段のように・・・。本当そのままですね。
ただ、毎回「このイメージだ!」と決めてから、それにあった場所を探すのは結構大変かも? 螺旋階段はいい場所を見つけました。笑(国営昭和記念公園の花みどり文化センターの螺旋階段を許可を得て撮影させていただきました)
プロダクトの顔としてのジャケット
エソラビトが3人の頃は、ボーカル、ギター、サックスという少し変わったユニットだったので、ジャケットで顔を覚えてもらおう!とはあまり考えていませんでした。
でもソロになった時、路上ライブが主体だったのですが、当時、女性ソロ弾き語りのシンガーソングライターはたくさんいたので「とにかく顔や雰囲気を覚えてもらう事」をいちばんに考えたジャケットにしていたと思います。
(2021.9)
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職業 【しょくぎょう】
シンガーソングライター
菜々子談
私の職業は一言で言うと「シンガーソングライター」ですが、この「シンガーソングライター」の中にいろんなことが含まれています。
フリーランス・セルフプロデュースのシンガーソングライター。作詞や作曲、ライブ活動といった、表に出る音楽活動はもちろんですが、企画をまとめたり、イベンターさんやライブハウスさんなどとのやりとり、運営・・・デスクワークの時間の方が多いのでは?
と思う時もあります。
そして、年齢を重ねる度に特に大事だと感じている心と体のメンテナンス。ボイトレ、筋トレ(グループ・レッスン)、ヨガ(最近、初めました)などに通っています。10年もお世話になっているボイトレの先生には「ボーカリストという職業はアスリートと同じ。体が楽器。日々メンテナンス」と言われてきました。
いつまでも自由に、自分の思い通りの音を奏でるために、これからも頑張りたいなぁと思っています。
職業「シンガーソングライター」
意外といろんなことをしている職業なのでした。
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曽我 【そが】
菜々子さんの育った場所。小田原市内。 ただし、単独の「曽我」という地名は現在は存在しない。
菜々子談
私の故郷は小田原市曽我なのですが・・・
曽我に住んでいた頃よく乗っていた電車「御殿場線」の駅のひとつ「下曽我駅」(しもそがえき)が、今年開業100周年を迎えます!! 今回ご縁をいただきまして、下曽我駅開業100周年ソングを制作(歌唱)させていただきました。
タイトルは「おかえり」
大きな夢を持ち都会へ上京した若者が、疲れて故郷に帰ってきて元気をもらいまた明日へと進んでいく・・・そんな内容の歌になっています。(上京と言っても都会まですぐですが)
私自身、御殿場線はずっと使っていたので、その時の思い出や、使ってる人なら「あるある」な事や、懐かしい風景をたくさん歌詞に込めました。
また、曽我というと「曽我梅林」が有名です。その一角で「杉田梅」が育てられている事は知っていますか? なんと150年も前に杉田梅の苗が曽我梅林に持ち込まれて、大切に受け継がれているそうです。
私はそんな事も知らず、偶然、杉田と繋がり、音楽活動を通して今では第二の故郷のようになっている・・・なんとも不思議なご縁です。
5月14、15日に下曽我駅開業100周年記念企画「下曽我鉄道まつり」が開催されるとの事なので、この機会に足を運んでみてくださいね。(私は出演しませんが、曲を流して頂ける予定だそうです)
【下曽我駅開業100周年記念企画】 ※このイベントは終了しました
下曽我鉄道まつり ◇入場無料
日時・2022年5月14日14時〜16時/5月15日10時〜16時
場所・下曽我梅の里センター(JR御殿場線下曽我駅下車徒歩1分)
14日:資料と写真の展示、鉄道模型運転会
15日:資料と写真の展示、鉄道絵本朗読会、高校生研究発表、鉄道模型運転コンテスト 他
曽我についてもっと詳しく(by 磯子マガジン)
小田原市内に単独の「曽我」という地名は現在は存在しない。正式な地名としては、1つの「○○曽我」と、6つの「曽我○○」があり、そのあたりを総称して「曽我」と呼ぶことはある。
上曽我(かみそが)、曽我大沢(そがおおさわ)、曽我岸(そがきし)、曽我光海(そがこうみ)、
曽我原(そがはら)、曽我別所(そがべっしょ)、曽我谷津(そがやつ)
もともとは、上記6つの地区を含む「曽我村」「下曽我村」という2つの村があった。後にそれぞれ小田原市に編入された。
曽我のエピソード!
(by 磯子マガジン)○赤穂浪士などと並ぶ日本三大敵討のひとつ『曽我物語』の主人公・曽我兄弟が育ったのが曽我。曽我物語は、江戸時代には「富士野往来」という教科書に取り上げられ、戦前にも教科書に載るほど有名だった。
○曽我物語をベースにした曽我物と呼ばれる作品のうち、円地文子の『元服曽我』が、戦後、GHQの検閲で全文削除された。(2004年9月 谷瑛子「占領下の出版物検閲と児童文学」)
○曽我物語の主人公・曽我兄弟、兄の名は曽我十郎。杉田梅のライバル(?)で、小田原の有名な梅「十郎梅」はこの名が由来。(曽我十郎に加えて、命名時の小田原市長「鈴木十郎」さんの名前からも来ているという話ですが、鈴木十郎さんというお名前がそもそも曽我十郎にちなんだのではないでしょうか)
○二宮尊徳の母・川久保よしの出身地。
○曽我紹介サイト:曽我の里 散策 https://kasayaki.com/soganosato.html
下曽我駅のエピソード!(by 磯子マガジン)
曽我エリア内にある鉄道駅がJR御殿場線の「下曽我駅」。開設当時は小田原市ではなく「下曽我村」だったのでそのまま駅名となる。
・100年前の開業当時は東海道本線だった。
・1934年、熱海−沼津間の開業に伴いそちらが新しい東海道本線になり、下曽我側は御殿場線に改称
・1943年、単線化(もとは複線だった)
・神奈川県なのにJR東海の管轄。
・JR東海管轄の在来線(*)では、最も東にある駅(新幹線では新横浜や東京もJR東海の管轄)。
(*)在来線:JRの、新幹線以外の路線
タ行
誕生日【たんじょうび】: 2月11日
菜々子談
私の誕生日の当日は、もう10年以上はファンの皆さんと過ごしています(いつからかはっきり覚えてないけど少なくても10年)。建国記念日なので必ず祝日になるんですよね。なのでライブもやりやすい!
ということで、毎年ライブを開催しています。
子供の頃は、学校が必ずお休みなので、当日に「誕生日おめでとう!」ってみんなに言ってもらえなくて損!と思っていましたが・・・。
そんな、10年は続いていた誕生日ライブ。今年はというと・・・開催はしたのですが、菜々子本人は会場に行けませんでした(詳しくはブログを読んでください)。
会場に来てくれたお客さんに向けてリモートでつなげて演奏。パブリック・ビューイング的なイメージ? テレビに映った私を皆さんで観る・・・という今まで経験したことのないお誕生日でした。
会場では、友人のシンガーソングライター椛島恵美ちゃんがピンチヒッターで演奏してくれたり、スタッフのみんなに支えてもらって、なんとか開催できたお誕生日ライブ。
行けなくてとても残念でしたが、愛をたくさん感じた一生忘れられない誕生日になりました。
(2022.2)
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ChigiMaki:【ちぎまき】ポップクラシックデュオ(バイオリン&コントラバス)
同じ事務所で一緒に頑張ってきた大事な音楽仲間。
困難を共に乗り越えてきているので私たちにしか分からない絆があると感じています。
二人の奏でる音楽は、お互いの音楽を信頼し合っている気持ちが音に出ているので本当に心地良いです。音で会話するってこういうことなんだ!と思いました。音楽家としてとても尊敬している2人ですが、素直で可愛いい後輩!というイメージもあるので、二人がさらに活躍できるようにお手伝いをしたいなぁと勝手に姉御のような気持ちでいます。
(2022.3)
ナ行
菜々子【ななこ】:
証明写真風の写真を
提供して頂きました
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シンガーソングライター。女性。
・身長:156cmくらい
・足のサイズ:22.5〜23cmくらい
・100m走:たしか14秒台後半だった(高校生のとき)
・400m走:64秒3とかだった気がする(高校生のとき)
・血液型:O型
・視力:コンタクトがないと何も見えません!!
・指の長さ:短い。中学生のとき、ピアノのレッスンで弾けない曲が増えていき、悔しかったことを覚えています。
・音楽歴:ピアノ→小1〜高1まで。ボイストレーニング→22歳〜現在まで。おまけ→小6のときに学校の音楽クラブの鼓笛隊でトランペットを担当。
(2020.6)
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年表【ねんぴょう】
※菜々子さんの「音楽年表」を作ってもらいました!
1994年 |
Mr.Childrenの音楽に出会い、どハマりする。人生初ファンクラブに入る。日本のバンドを中心にいろんな音楽を聴くようになる。 |
1995年 |
JUDY AND MARY のYUKIちゃんになりたい!と憧れる。音楽雑誌『ROCKIN' ON JAPAN』『PATi PATi』『WHAT's
IN?』『音楽と人』などを毎月3〜4冊買ったり、CDを聴きまくったり、TV・ラジオをチェック。音楽漬け。 |
1996年 |
友達と行った、たぶん人生初のカラオケでL’Arc〜en〜Cielの「flower」を歌い、友達の間でL’Arc〜en〜Cielが流行る。「菜々子の歌が良かったから」と言われ、いい気になる。 |
1997年 |
バンドをやりたいが自信がなく、カラオケで歌うことで発散する。 |
1999年 |
椎名林檎の1stアルバム『無罪モラトリアム』に衝撃を受ける。すべての音楽の中で一番好きなアルバム。 |
2001年 |
JUDY AND MARYのライブに初めて行った日、それが解散ライブ。私もバンドをやろう!と決意する。ボーカル募集をしているバンドに連絡をし、ロックバンドのボーカルになる。 |
2002年 |
ライブハウスで初ステージ。 |
2004年 |
当時のバンドでインディーズデビュー。タワーレコードなどに並び、感動する。 |
2005年 |
バンド解散。ユニット結成。 |
2006年 |
ユニットのCDが全国流通。 |
2009年 |
ユニット解散。 |
2010年 |
Nanakoとしてソロ活動スタート。 |
2011年 |
Nanakoソロ活動終了。エソラビトとして活動開始。
※ここからはHPプロフィールをご覧ください。 |
2021年 |
エソラビトとして活動10周年を迎える。 |
2022年 |
1月に音楽活動20周年!! |
ハ行
母【はは】
エソラビト菜々子の母。横浜生まれ横浜育ちの浜っ子。
音楽は、QUEENとクラシック音楽が好き。 洋服作りも好きで、自分の服を自分で作ったり、菜々子が子どもの頃、ピアノの発表会の時のドレスを作ってくれた。
一人の時間が好きな人で、本(ミステリー小説)を読んだり、落語のCDを聞いたりするのも好き。
性格は優しくて大人しい。基本的になんでも受け止めてくれる、本当に「お母さん」という感じの人。
菜々子談「私が音楽を好きなのは、母の影響。音楽活動に関しては否定されたことは一度もありません。いつも心配しながらも見守ってくれています。
ファッションが好きなのは母の影響だと思う。
実家にいる頃、冬の時期ライブから遅く帰って来ると、私の部屋を暖めてくれていたり、遅い時間に起きてきてスープを出してくれたりしてくれました。 実家を出るときに、そんな母のことを歌ったのが『未来スコープ』という曲です。」
(2020.9)
ヤ行
◆◆◆
山田尚史【やまだ・たかふみ】シンガーソングライター
この人の歌はこの人にしか歌えない。
繊細で強くて弱くて誰にも似ていない歌を歌う唯一無二のシンガーソングライター。
自分の弱い部分もさらけ出してくれるから、私も弱くてどうしようもないくらいの暗い部分を見せられる貴重な存在です。
(2022.3)
◆◆◆
山寄りの小田原(*1) 【やまより-の-おだわら】
菜々子の故郷。母の実家がある二俣川(旭区)で生を受けたが、直後からずっと、山寄りの小田原で育つ。通ったのも、保育園から高校まで小田原。
最寄りの鉄道路線は本数が少ないので、ふだん電車はほとんど使わず、クルマが主な移動手段。マニュアル免許保有!
遊び場所は、地元の山と田んぼ、そしてカラオケ! ただし、高校時代は、お気に入りの洋服屋さんがある本厚木によく通った。
おススメの小田原グルメは、「おしつけ」(*2)という小田原でとれる魚と、老舗ラーメン店「四川」の坦々麺。
写真について菜々子さん談「ここは、育った家から徒歩5分くらいのところにある山です。自然いっぱいの場所でのびのび育ちました!
実家は元農家で、もう少し奥に行くと、かつて我が家の畑だった土地があります。私が子どもの頃まで、おじいちゃん・おばあちゃんが農業をやっていたんです。メインはキウイ・フルーツでした!
」
磯マガ注 (*1):小田原は神奈川県西部の地名。小田原市の人口は約18.9万人。磯子区は約16.6万人なので、かなり近い。ただし、面積は小田原市が磯子区の5倍以上ある。
(*2):小田原で「おしつけ」と呼ばれているのは、一般的にはアブラボウズという名前の、なかなか大きな魚(体長約1.5m)で、ギンダラの仲間だそう。
(2020.8)
ラ行
レパートリー 【rep・er・toire】
・作った曲の数=約250曲
・リリースした曲の数=約200曲(つまり未発表曲が約50曲)
・誰かに提供してもらった曲の数=2曲
・ストリート・ライブで歌ったことのある曲の数=約150曲
・今すぐに歌える曲の数=300曲
・いちばん多く歌った曲=『まばたき』『あいたい』。その次に多いのが『空へ』
以上、すべてご本人が記憶をたどりながらの推測です。
菜々子談「作った250曲の中には、学生の頃につくったものも入ってます。すぐに歌える曲は弾き語りで300曲ぐらい(カバー含む)かな、歌だけならもう少し歌えます。いちばん多く歌った2曲は、2011年に始めたエソラビトの一年目から歌っていた曲です。ストリートばかりしていました(遠征もたくさん)」
(2020.11)
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