磯子区を駆け抜けた第2回 横浜国際女子マラソン
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2011年2月20日取材 |
2009年まで毎年2月に開催されていた横浜国際女子駅伝(※)は、赤レンガ倉庫のあたりでスタートし、磯子区を駆け抜け、金沢区の八景島の近くで折り返すコースが定番になっていました。
※)第1回大会だけ1983年3月に開催
横浜国際女子駅伝が終了し、代わりに誕生したのが横浜国際女子マラソン。しかし、2009年11月の第1回大会は残念ながら中区など横浜の中心部をぐるぐる周回するコース設定になり、磯子区にランナーがやってくることはありませんでした。
そして今年、2011年。第2回横浜国際女子マラソンは磯子区を通るコースに変更されました。しかも、折り返し地点が杉田に設置!
帰ってきた長距離走。かなりの寒さにも関わらず、多くの磯子区民が、国道16号や山下本牧磯子線に繰り出し、選手達に応援の声をかけ、旗を振っていました。 |
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折り返し地点ができるまで
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さて今回の磯子マガジンは、「磯子区役所前に設置された給水所ドリンク」と、「杉田の第一折り返し地点」、そして「八幡橋交差点あたり」の三箇所を2人でカバーする作戦です。
記者Aが最初に目指したのは、産業道路が国道16号に合流する「杉田」交差点。ここの16号側が第一折り返し地点です。通行止めになってもクルマは産業道路に迂回できるので、この地点が折り返しになったようです。
少し早めに杉田の交差点に到着した記者Aは、第一折り返し地点が作られるのを観察しながら、ランナーを待ちます。 |
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写真は、レースがスタートして5分後の12:15頃。折り返し地点も道路脇に控えていて、クルマはまだ普通に通れます。混雑や事故を避けるためと思われますが、歩道橋には目隠しが施され、上からはマラソンが見えないようになっていました。 |
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ランナーは、矢印のように下り線を南下してきて、折り返し後は上り線を北上します。 |
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12:25頃、上り線が封鎖され、日本テレビの中継カメラが車道上に登場しました。 |
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12:27頃。これが最後に通過したクルマ。以降、しばらくは両車線とも通行止めです。 |
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すばやくフェンスが並べられ、クルマは産業道路の方に誘導されます。 |
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フェンスにはクルマを誘導するための赤い矢印が描かれた幕が張られました。 |
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これで第一折り返し地点の準備は完了、あとはランナーが来るのを待つだけです。
ところで、杉田の折り返し地点が「第一」と呼ばれているのは、今回のマラソンがちょっと珍しい「折り返し地点が2つあるコース」だからです。
ランナーは、山下公園そばをスタートし、海側を首都高沿いに本牧→根岸→磯子と走り、杉田を折り返して同じ道をたどって横浜中心部まで戻ります。そしてこんどは本牧の本通りと言うんでしょうか、マイカルの通りを走って、間門に置かれた第二折り返し地点を経て、ゴールの山下公園へ戻っていく・・・という行ったり来たりするような独特のコース設定になっていたのです。 |
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磯子区役所前、給水所
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その頃、記者Bが待機していた磯子区役所前の給水所にランナーたちが近付いていました!
そういえば、駅伝のときは一人で走る距離が短かったからでしょう、少なくとも区内では給水所を見た記憶がありません。 |
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真ん中の、赤いレイのようなものが付いているのが優勝した尾崎好美選手のスペシャル・ドリンク。 |
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12:45頃、ついに先頭集団がやって来て、そしてあっという間に駆け抜けて行きました。左の写真に、一番後ろでちょっとだけ写っているのが、尾崎選手。 |
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折り返し地点から八幡橋へ、選手とスピード比べ
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記者Aのいる第一折り返し地点には、どんどん観衆が集まってきます。やはり、折り返し地点というのは人気スポットのようです。そして、12:53頃、先頭集団が折り返し! |
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この写真をよく見ると、沿道はもちろん、ビルの階段にも観衆がいるのがわかります。 |
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記者Bの隣では、ラジオ日本のアナウンサーが実況中。選手達とはかなりの距離がある場所でしたが、的確に状況を捉え、言葉で表現していく姿は「さすがプロ!」でした。 |
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先頭集団が通り過ぎたところで、記者Aは急いで自転車にまたがり、八幡橋に向かいます。途中、線路の向こうの首都高の下道を、いわゆる「ママチャリ」ではないそれなりの自転車で走っていけば、先頭を走るランナーに追いつき・追い越し、先回りできるだろうから、八幡橋でもう一回写真を撮ろう、そういう計算です。 |
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二度目の区役所前通過
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選手達は今度は国道16号の上り車線を疾走し、記者Bのいる磯子区役所前を再び通過。 |
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八幡橋では・・・
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記者Aは、堀割川沿い、ヤマダ電機・ニトリの横の道を抜け、国道16号に合流。しかし、残念ながらその途中、目の前を横切っていく選手が見えました。残念ながら追いつけませんでした。すごいスピードです。 |
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八幡橋で撮影できた最初の選手は16位でフィニッシュしたニッキー・アーチャー(イギリス)。 |
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少し磯子駅方向へ戻っていくと、浜マーケットの前で、浜マーケットの小島理事長(うなぎの小島家店主)が、選手に熱い声援を送っているところに遭遇(お店はちょうどお昼休み中でした、念のため)。 |
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小島理事長の横に並んで、走りすぎていく選手たちを写真に収めることにしました。 |
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マラソンは、駅伝より参加人数がずっと多いので、先頭集団が通り過ぎた後も、かなりの長い時間、後続の選手達を見ることができます。つまり、応援のしがいがあります。 |
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最近の流行なのか、女子マラソンだから尚更なのか、おしゃれな服装のランナーがとても多いです。 |
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さぁ、これで磯子区の区間は終了です。家に帰ってテレビやラジオで残りのレースを楽しみましょう。
帰りがけに、こんな光景も見ました! |
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スタッフの人たちの移動手段として手配された市営バス。 |
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ちなみに、近くにいた、黄色いジャケット姿のスタッフさんに聞いてみたところ、地域の体育指導員の方で、ボランティアで参加したとのことです。
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余談
磯マガ記者は、ラジオ日本の実況中継を聞いてレース状況を把握していましたが、番組中でコース近隣を紹介する素敵なコーナーがありました。磯子区について披露されたエピソードは・・・(※リンクをクリックすると、磯マガ関連記事にジャンプします)
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かつて杉田には梅林があり、最盛期36,000本もの梅の木があった。梅林の名が付いた梅林小学校もその名残。 |
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杉田梅の木は、今は妙法寺に残るのみ(磯マガ注:本当は、もう少しさまざまな場所に植わっています) |
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美空ひばりが出演した杉田劇場の跡地には史跡標示板が立っている。また、近くに新しい杉田劇場がある。 |
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屏風ヶ浦小学校ではなく、屏風浦小学校と表記するのは、開校時に、子ども達に怪我がないようにという思いを込めて、「ケが無い」表記にした。(磯マガ注:知りませんでした!
へぇ〜!) |
関連サイト
○横浜国際女子マラソン 公式サイト
○リザルト(全選手の記録) 上記公式サイト内PDF
Wikipediaの関連項目
○横浜国際女子マラソン
○横浜国際女子駅伝 |
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