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根岸競馬場は、日本で最初の(ちゃんとした)競馬場。 |
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横浜開港が1859年。「外国人の要望」により根岸競馬場が完成したのが1866年。たった7年で日本に競馬場を作らせてしまうぐらい、外国人は競馬が好きだったようです。 |
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しかも、根岸競馬場の完成以前にも、横浜のいろいろな場所で競馬が行われていたそうで、最初に行われたのが開港翌年の1860年。また、その2年後の1862年にはいまの中華街のあたりに一周1200mの仮コースが作られて競馬が行われました。1200mといえば、いまの川崎競馬場と同じ長さですから、相当な大きさです。 |
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天皇賞の前身レースは根岸競馬場で行われていました。最初のころは賞金はなくて、花瓶などの賞品が明治天皇から贈られていました。 |
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日本で初めて馬券が発売されたのも根岸競馬場。1888年(明治21年)のこと。馬券はギャンブルであり、当時は本来なら違法だったのが、「根岸競馬は居留外国人が中心だったこともあって」特別に許されていたらしいです。 |
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日本で競馬をやろうとしたり、競馬場を作ろうとした「外国人」が、具体的にどこの国の人なのか、参考にした資料には、はっきりとは書かれていません。ですが、根岸競馬場で重要な役割を果たした人物として挙げられている4人のうち3人がイギリス人です(残る1人は出身国不記載)。なのでおそらく、競馬発祥の地・英国から来た人たちが、「はるばる日本に来てまでも、競馬をやりたくてしょうがなかった」のだと思われます。 |
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根岸競馬場を運営していた日本レースクラブには、大隈重信や伊藤博文、井上馨ら、歴史上の著名人物が会員として名を連ねていました。 |