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16号と根岸線の交差する場所にあった旧杉田劇場
2005年11月26日作成
11月13日(日)、岡村天満宮の参道に史跡標示板が設置されたのに続き、11月26日(土)、旧杉田劇場の跡地にも史跡標示板が設置されました。記念の郷土史講座と除幕式の模様をレポートいたします。
かつて吉本興業が横浜に劇場を持っていた
○今や、磯子区のランドマークとなった新杉田駅前の高層ビル「らびすた新杉田」
○年配の方に磯子区の有名人を尋ねたら、間違いなくトップになるであろう美空ひばりさん
この新旧2つのトピックを結びつけるのが「杉田劇場」。旧「杉田劇場」は美空ひばりさんがデビューした劇場として知られています。その名前にちなんで、2005年2月、らびすた新杉田の3階にオープンしたのが新「杉田劇場」ですね(本稿では現在の杉田劇場を新杉田劇場と呼ぶことにします)。

そんな関係から、史跡標示板「旧杉田劇場跡」の除幕記念郷土史講座は新杉田劇場のリハーサル室で開かれました。講師の小柴俊雄さんは横浜演劇史研究の第一人者。美空ひばりさんの初舞台が旧杉田劇場だったことを、各種の資料などから解き明かした、まさにご本人なのだそうです。
葛城さん 小柴さん
郷土史講座は葛城峻さん(磯子区郷土研究ネットワーク代表)の司会でスタート。
講師は横浜演劇史研究の第一人者、小柴俊雄さん。

講演のテーマは「文明開化の劇場から杉田劇場まで」。安政6年(1859年)に開場した横浜初の劇場・下田劇場から始まり、戦後初の劇場である杉田劇場にいたる、過去、横浜に存在した全部で15もの劇場の、歴史やさまざまなエピソードを聞かせてくださいました。

たとえば、一時映画館になったとはいえ、昭和48年(1973年)から演劇小屋に姿を戻し、今でも営業を続けている南区の三吉演芸場のお話し。あるいは、戦前には伊勢佐木町に、あの吉本興業が「横浜花月劇場」をもっていた事。横浜花月劇場があったのは、現在の伊勢佐木町東映のところなんだそうです。そして、エンタツ・アチャコ伴淳三郎など当時のスターが多数出演していたらしいですよ。
リハーサル室 受付
講演は新杉田劇場のリハーサル室で行われました。天井には照明器具。
受付、お疲れ様でした。記念に一枚。
劇団チュチュも登場した除幕式
さて、講演終了後は旧杉田劇場の跡地に移動しての除幕式です。場所は国道16号線沿い、上空にJR根岸線のガードが架かっているところです。下の写真でわかるでしょうか。劇場があった当時は、すぐ裏が海だったそうです。海辺の劇場なんて何だかカッコイイですが、昔は珍しくなかったのでしょうか?
設置場所 除幕の瞬間
史跡標示板はここにあります。近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りを!
除幕の瞬間。左手前が渕氏、奥が間瀬氏、標示板の右に相原副区長、右端は鈴木氏。
さて、いよいよ除幕の瞬間! 相原・磯子区副区長、横浜磯子ライオンズクラブの鈴木会長、磯子区郷土研究ネットワークの渕副代表(前横浜市議)、新杉田劇場の間瀬館長の手によって幕が取り除かれ、史跡標示板が姿を現しました。

そして。公開されたばかりの史跡標示板を眺めていると、どこからともなく現れたのが磯子区で唯一(?)のアマチュア市民劇団横綱チュチュのメンバー。股旅姿の旅人とお地蔵さんと町娘(かな?)による寸劇を披露してくださいました。
史跡標示板 横綱チュチュによる寸劇
これが史跡標示板。クリックすると拡大します。
旧杉田劇場の跡地で寸劇。いいですね。
というわけで、今年も磯子区に2枚の史跡標示板が設置されました。ちなみに、去年は「根岸堀割川」と「根岸飛行場跡」が設置されたんだそうです(「根岸飛行場跡」の方は、横浜プールセンターのすぐ近くにあるので、皆さんにおなじみかもしれません)。この事業は設置場所の町内会、横浜磯子ライオンズクラブ、磯子区郷土研究ネットワークの3者共同で行われており、来年以降も継続の予定。郷土研究ネットワーク代表の葛城さんは、「ゆくゆくは、これら史跡標示板を結んで磯子区の歴史をめぐる散歩道ができたらいい」とお話しされていました。
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