新杉田には、とても立派な土俵があります
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2007年12月27日作成 |
新杉田には土俵があります。何かの比喩ではありません。屋根付きの立派な土俵があるんです。
土俵の存在に気付いたのは磯子マガジンを創刊するより、かなり前。運動不足解消のため、磯子区のいろんな場所を自転車で走り回っていた頃のことです。
新杉田駅から磯子に向かって産業道路を進み、セブン・イレブンの角を右折し、線路をくぐってIHI横浜事業所の正門前の交差点を左折。高速の下の国道357号を磯子に向かいます。すると、左手に見慣れない施設。よく見ると土俵です。 |
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近づくと、ブルーシートがかかっているのがわかります。 |
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土俵の裏手はJR根岸線の線路(高架)です。確認したところ、電車の中からも土俵の屋根を見ることができました。新杉田と磯子の間。上り(北行)なら新杉田駅を出てちょっと行ったあたりの海側です。根岸線を利用している方は、ぜひ一度ご確認ください。
この土俵は、道路を挟んでIHI横浜事業所の反対側にありますが、隣にあるテニスコートなども含め、IHIの敷地です。ある日、知り合いの方がIHIの総務部の方を紹介してくださり、土俵がIHIの相撲部の施設であることがわかり、取材の許可も降りました。そしてなんと、相撲部の方にご協力いただき、取材当日、わざわざ稽古の様子を見せてくださるとの嬉しい知らせも。
そんなこんなで、いざ土俵へ! |
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いよいよ土俵へ・・・
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案内してくださったのは、IHI横浜事業所・総務部の石橋さん。あいにくの雨の中、土俵まで付き添ってくださいます。そして・・・、いよいよ土俵を間近に見ることができました。 |
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本物の土俵。その造詣と佇まいに、日本の国技・相撲を行う場である土俵の、歴史の重みを感じます。相撲部の方に「上にあがって撮影してOK」との許可も頂いたのですが、うかつには足を踏み入れられない、そんな神聖な雰囲気です。
そしてそして、IHI相撲部の現役選手による迫力満点の稽古の様子が以下の写真。身体がぶつかりあう音と、選手の息づかい。テレビでは味わえないすごさです。 |
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この写真は特にカッコイイのでクリックで拡大できるようにしました。 |
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土俵の外に押し出したら1本終了。これを何回も繰り返します。 |
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稽古が終わって、キレイに掃かれた土俵。「目」というそうです。 |
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ちなみに、写真左に写っている背の高い選手は山田純一さん、28歳。身長190cm、体重120kg。右の選手は岡本登光(たかみつ)さん、26歳。身長173cmで体重100kg前後。 |
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土俵ができたのは平成2年か3年。目黒さんは春日野部屋の力士でした。
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後列左から岡本さん、山田さん
前列左から石橋さん、小割さん、目黒さん、大村さん |
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土俵の撮影が終わってから、相撲部OBの小割(こわり)さん(57)と目黒さん(63)に、土俵のこと、IHI相撲部のこと、アマチュア相撲のことなど、いろいろとお話を伺いました。
---相撲部ができたのはいつ頃ですか?
小割:1971年(昭和46)です。私がIHIに昭和45年に入社して、会社で目黒さんと知り合いました。目黒さんはもともと春日野部屋の幕下力士でしたし、私も高校時代、相撲をやってました。それですぐに意気投合して、「相撲部を立ち上げよう」となったんです。今年で相撲部創設から36年がたちました。
---相撲部を作るのは大変でしたか?
小:そうでもないですね。ちょうど昭和45、6年前後は会社が全盛期だった頃ですね。で、求人はいくらでも欲しい頃です。ですから「リクルートに行ってきなさい」と会社に命じられて。それで、大村君(現・相撲部監督)ともうひとりシブヤ君っていたんですけど、彼は小さいけど、もう高校時代に有名な選手で。その二人をスカウトして、現役が4人になったんですよ。それで相撲部を会社に認めてまらいまして。
目黒:それで相撲部ができたら、二人のほかに・・・
小:フジイ君ていう岩手から出てきた強い選手がたまたま入社したんですよ。スカウトではなくて、彼が偶然IHIに入ったら相撲部があったという。すぐに声をかけて入部してもらいました。
---小割さんや目黒さんの世代と、いま現役の山田さんや岡本さんの世代の間は空いてるんですか?
小:いえ、続いてるんですよ。地方から高校生が入ってきたりですね、だけど退社しちゃったりとか、そういう経緯を繰り返しながらですね。一時は、現役選手がいなくなるかもしれない危機もあったんです。だから、目黒さんは45歳まで・・・50歳までかな(笑)、私は42歳まで大会に出ました。まぁ弱くなってましたけども、「相撲部を続けるためには何とか」って。で、もう限界だなって思う頃にまた選手が入ってきて。
---今の土俵は相撲部創設時からあったんですか?
小:いえ。創設時の土俵は目黒さんと二人で地べたにそれらしいものを手作りで作ったんです。
目:その土俵は最初、業者の人がその辺の残土で作ってくれたものだったんだけど、危なくてね、稽古できないくらいだったんです。で、われわれで造成地に行って山から土もらってきて。
---現在の土俵は?
小:平成2年か3年ごろかな、湾岸道路ができるときにですね、以前の土俵がグランドごとなくなりまして。それでわれわれは、また別の場所を見つけまして、コツコツ自分達でまた土俵を作ってたんです。そしたら会社の幹部の方が「お前達は仕事をしてればいい。土俵はわれわれが作ってあげる」と言ってくださって。立派な土俵を作って頂いたんです。非常に理解のある幹部がこの横浜事業所にいて。当時の横労福(福利厚生部門)の、今はもう亡くなられたんですけど、アベ部長という早稲田のラグビー部出身の方と、アマノさんという課長が率先して作ってくれたんです。思ってもみないようなお金をかけてくれまして、たいへん立派な土俵を作ってもらいました。
---実業団の相撲部というのは、普通、こういう土俵を持っているんでしょうか?
小:いえ、企業でうちのような土俵を持っているのはまず皆無と言っていいんじゃないですかね。室内に土俵を持っている企業はありますけどね、屋外の常設土俵って言うのはまず珍しいですね。私は他に知りません。 |
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隠れた逸材が必ずいるはず。社外の方でもOKです。一緒に練習を!
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---プロボクシングとアマチュアボクシングではルールに違いがありますが、アマチュアと大相撲でもそのような違いはあるんですか?
目:基本的にはないんですけど、張り手のルールが少し違います。アマチュアの場合は肩幅より手が出て張ったら反則負けなんです。肩幅以内だったらいいんですけどね。
---社会人の相撲部の大会はどんな感じで開かれるんでしょう?
小:主にですね、全日本実業団と東日本実業団、2つの大きな大会があります。あと横浜市の大会、神奈川県の大会、関東大会、そういうものがあります。5月から10月ぐらいまでがシーズンで、ずっと試合が続きます。
---IHI相撲部の成績は?
小:県ではほとんど優勝です。ですから市では、当然常にトップです。市はですね、相撲人口が少ないもんですから、同好会の参加もOKなんです。IHIは純粋なIHIチームとして戦ってきましたけど。まぁ、彼ら(IHIチーム)に勝てる選手はあまりいないですね。
それより上のクラスの成績を申し上げますとね、5年前の東日本の大会で、二部で団体3位ですね。全日本では今から何年前になるんでしょう、30年くらい前になりますね、私と目黒と大村と3人で出た大会ですが、残念ながら4位なんです。ですから、全日本の4位がこれまでで最高ですね。
---団体戦というのは3人でやるものなんですか?
小:3人制です。ですから今は団体戦には出られません。「なんとか、早く高卒の相撲経験者を採ってもらえないか」って会社にお願いしてるところです。
いま現役は二人だけなんです。しかも、山田君が慢性の膝痛で大会には出られない状態なんで、岡本君が唯一大会に出てるんです。彼らは二人とも神奈川県の国体の選手だったんですよ。
---相撲部の練習ペースは?
小:仕事が忙しいときは休むこともありますけど、土俵を使っての練習は基本は毎週水曜日の夜です。
目:仕事が終わってからです。
小:土俵使わない日でも筋トレは毎日やってますね。
---今後の相撲部の活動についてどのようにお考えですか?
小:地域での相撲の普及活動に力を入れたいと思っています。磯子区に相撲愛好者がいればですね、IHI社員でない方でも構いません、私のところに連絡して頂ければ、相撲部の練習に参加できます。
隠れた逸材は必ずいるはずなんですよ。元相撲取りで、途中で辞めた方とかですね。どっかにいるはずなんです。そういう人が、IHIのためでなくても、横浜市のために選手として登録してくれれば、と考えています。相撲人口が増えて欲しいという希望をこめてですね。
---会社所属ではなく、個人のアマチュアの選手としてですね?
小:そうです、そうです。最近は、大相撲経験者でも、辞めてから1年以上たてばアマチュアに復帰できるんですよ。 |
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相撲の魅力? 裸でぶつかって、稽古が終わったときの爽快さですね。
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---お二人の相撲経験を教えてください。
小:私はねぇ、小学校4年ぐらいから。小学校に珍しく相撲部がありまして。
---当時でも小学校の相撲部は珍しかったんですか?
小:小学校にあるのはマレでしたね。私の叔父が大学時代に相撲をやってたらしいんですけど、その叔父に勧められて始めました。
---「相撲、やってみたら面白かった」っていう感じですか?
小:まぁ、はまりましたね。当時はわれわれの子どもの頃はみんなそうだったんですけどね、遊ぶものって言ったら相撲しかなかった。
---学校にも土俵があって?
小:そうです。
---中学、高校も相撲部があったんですか?
小:中学は無かったんですけど、大会になるとかりだされましたね。私は北海道ですけども、まず郡の大会があって、勝てば北海道大会。当時は中学校の全国大会は無かったんですよ。高校では相撲部は当然ありました。
---目黒さんも小さいときから?
目:いや、本格的に始めたのは17歳のときだから、高2かな。高校辞めて大相撲に入って。
---大相撲にはどれくらいいらしたんですか?
目:4年いました。
---相撲の魅力はどういうところですか?
目:魅力・・・、なんとも言えないなぁ(笑)。まぁあれだよねぇ、裸になってぶつかって稽古して、終わったときのあの爽快さですね。
---痛くないんですか?
目:まぁ痛いときもあるけどね(笑)。半分は苦痛もあるけど(笑)。
---大相撲をテレビでご覧になられますか?
小:好きですね。日本人の有望な力士も出てきましたね、いいと思いますよ、最近。
---注目の力士は?
小:明徳義塾高から来た影山、改め栃煌山(とちおうざん)。春日野部屋だから目黒さんの後輩ですね。あるいは、茨城出身の稀勢の里(きせのさと・鳴戸部屋)。彼も素晴らしい。身体(からだ)がいいですね。大きい力士はいくらでもいますけど、彼は相撲取りとしてのバランスが非常にいいですね。柔軟性があって。
---本日は、ありがとうございました。 |
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小割(こわり)さん
IHIグループ (株)アイメック
045−759−2324
※毎週水曜日の夜、IHI相撲部の練習に参加可能です。腕に覚えのある方、ぜひご連絡を! |
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おわりに・・・
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というわけで、とうとう、土俵の取材は終了です。初めて土俵を見つけたときは、「うーん、どうも土俵みたいに見えるけど、まさか土俵じゃないよな」と思いました。
その後、何度も自転車で通りかかるたび、気にして見ていたのですが、相撲をとっているのを一度も見たことが無い。「でも、何度見てもやっぱりあれは土俵だな、屋根もついてるし。なんでこんな場所にあるのだろう、なぜ使われないんだろう」とナゾが深まるばかりでした。実は磯子マガジンを創刊した理由のひとつに、この土俵のナゾを調べてみたい、というキッカケがあったのです。
そのうち、土俵がIHIの敷地であることに気付き、磯子マガジン創刊後、最近になって総務部の方にコンタクトが取れ、IHIには相撲部があり、その練習のために土俵が夜に使われていることがわかったのです。
そしてこの日の取材。約3年がかりで土俵のナゾが解けました。磯子マガジンにとって、たいへん印象深い取材になりました。
IHI相撲部及び関係部門の皆様、お忙しいところ取材にご協力頂き、誠にありがとうございました。
関連リンク
○(株)IHI公式サイト
○(財)日本相撲連盟公式サイト
○春日野部屋公式サイト
○Wikipedeia アマチュア相撲の解説ページ |
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