--- ご出身はどちらですか?
実家はずっと横須賀なんだけど、私が生まれたのは疎開先の長野県です。昭和20年(1945年)の5月29日、横浜大空襲の日に生まれました。2ヵ月半後の8月15日に戦争が終わったんだよね。
--- では、ギリギリで戦中派ですね。戦争が終わって、家族と横須賀に戻られて。
そう。榎戸っていう場所です。追浜から日産の方に行って、京浜田浦の方に出る道の途中。高校卒業するまではそこに住んでました。
--- 高校はどちらですか?
栄光学園(鎌倉市)。伴整形外科の伴先生も栄光学園なんですよ。
--- 磯子区医師会の会長をされてる伴先生ですね。
そうです。ほかにも、私と学校が一緒で、磯子で医師をやってる人は結構いるんですよ。磯子中央病院の前院長の上田先生も栄光学園出身。同じ大学(慈恵医大)なのが磯子しおかぜ診療所の院長の北先生。
そんなことで、「私も結構、長いあいだ医者をやってるんだなぁ」と思いますよね(笑)。友人や後輩が、院長や教授になったりしてね、どんどん偉くなってるから。
--- あと、元オフコースの小田和正さんのお兄さんとも栄光学園で同級生だったんですよね。
そうそうそう。和正も、ちっちゃい頃・・・彼が小学生、中学生ぐらいの頃だね、釣りに連れてったりしてるから、和正は私のこと、よく知ってますよ。当時、田浦で魚がよく釣れたんだよね。
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--- いつから磯子区に住み始めたんですか?
北久里浜で開業医を始めたときからだから、30年ぐらい前ですね。さっきも話したように、当時は、大学の附属病院にも、湘南病院、厚木病院にも勤めてたから、全部のちょうど中間にある磯子に家があれば一番通いやすいってことで。
--- いまは磯子区に移転されて、さらに通いやすいですね。
そうだね(笑)。歩いて通えます。横須賀の患者さんには遠くなっちゃって申し訳ないんですけど。ただ、磯子駅から近いですし、うちの医院には駐車場はないけど、薬局によって・・・例えば上永谷薬局の磯子店とか、無料の駐車場がある薬局もあるらしいので。
--- ところで、ご家族構成は?
妻ひとり、子ども5人です。娘2人と息子3人。いちばん上の娘は大阪に嫁いで、いま32歳。ほかの4人は今も一緒に住んでます。出ていかないのよ(笑)。
--- 磯子出身の演歌歌手・水木昌平さんの後援会長を務められていますが、そのきっかけは?
10年以上前からね、昌平くんのお母さんがウチの病院のスタッフとして働いてくれてるんです。で、あるとき「息子が演歌歌手になる」って言うからね、じゃあ応援させてもらおうと。
--- 休みの日にはどんなことをしていますか?
健康のためにゴルフをやってます。足腰がダメになるとできなくなるから。あとね、ほぼ毎朝、足に2kgのオモリをつけて浅間神社にお参りに行ってます。
--- じゃあ、磯子区のおすすめスポットは浅間神社でいいですか?
うん、そうですね(笑)。それと、おすすめスポットじゃないけど、おすすめの歌手がいます。磯子出身の演歌歌手の水木昌平君。いい声してるし、好青年でね。縁があって、後援会の会長を務めてるんです。
--- では、音楽の話が出たところで、文化的な方面の質問です。好きな映画は?
そんなにたくさん見る方ではないけど、でもね、アラン・ドロン主演の『太陽がいっぱい』(1960年)と、黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)かな。『太陽がいっぱい』は音楽が良かったんですよ。『七人の侍』はアイディアが素晴らしい。
--- 最後に、好きな本は?
おこがましいけどね、道元さん(註:鎌倉時代の禅僧)の禅の本ですね。
仏教といえば、私の号は「狂愚」って言うのね。それは一休さんと良寛さんから一字ずつもらったんです。一休さんは「狂雲」っていうんだよね。良寛さんは「大愚」。そこから「狂」と「愚」を貰いました。だから、キープしてるボトルには狂愚って書いてある(笑)。
--- 以上で質問は終わりです。ありがとうございました。
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インタビューを終えて
実は、一行ニュースで開院をお伝えしたときの佐藤先生の写真を見た読者の方から、「怖そうな先生ね」というお便りが。確かに写真はちょっとコワモテ。色の付いた眼鏡をかけてますしネ。でも実際の佐藤先生は、とても優しくて紳士的。患者さんを叱るようなタイプの先生ではありません。安心して、診てもらってください!! |