12月のある昼休み、友生会の理事長であり、山口歯科医院の院長をつとめる山口剛先生にお話を伺いました。
--- 歯科医になられるまでのお話を聞かせてください。
本牧で育ったからなのかわかんないんですけど、小さい頃ぜんそくで体が弱かったんですね。小学校の低学年の頃は学校も休みがちで入院することもあった。それが体に電気を通す理学療法で対質が変わったんですよ。それで普通の生活ができるようになって。
そういう体の弱い子だったから、親としては元気な子になって欲しかったんでしょうね、よく「家の中にいないで外に遊びに行け」って言われました。でも、小学校4年生のときに学校で知能テストがあったんですけど、その結果がちょっと良かったんですね。両親が校長室に呼ばれて「この子に勉強させろ」と言われたらしいです。それからは親が「勉強しろ、勉強しろ」って言い始めました(笑)。
中学は横浜国大附属中、高校は光陵高校でした。その後、ある大学の理工系の学部に入ったんですね。だけど大学に通い始めてそんなにたってないある日にね、「このまま大学を卒業して普通に企業に就職するのは嫌だな」ってふと、思っちゃったんですよ。ちっちゃいときに自分が体が弱かったっていうこともあって、医者の道を目指したいと。それで親に「今の大学を辞めて、医学部とか歯学部とか行きたい」ってお願いして。親父は普通のサラリーマンだから、そんなに裕福じゃなかったんだけど、ありがたいことに医学の道に進学させてもらいました。本当に感謝してます。
で、医学部か歯学部かどっちだっていうときに、そういう事情を考えると、なるべく早く一人前になりたい。一般的に、医学部より歯学部の方が短い年数で一人立ちできるんですよ。それで歯学部を選びました。
受験したのは日本歯科大学。特に深く考えずに、受験日が一番早かったっていうのが理由です(笑)。ラッキーなことに合格しました。
--- 大学卒業後はどちらに?
実は卒業するときに先輩が「歯科麻酔学で学校に残らないか?」とか声かけてくれたんですけど、大学に残っちゃうと授業料もかかるし、早く一人前になるには実践を学んだ方がいいと思って、僕は開業医のもとで勤務したんです。大学の先輩が病院長されてるところでしたね。
その後、ちょっと人より早いかなと思ったんですけど、4年ぐらいで独立しました。僕が担当した患者さんの声なんかも聞いて、これならやっていけるっていう自信、感触を自分なりにつかんでたんで。
--- それが山口歯科を開業した1987年ですね。磯子区で開業したのはどうしてですか?
ひとつには、横浜市大の浦舟病院と連携して診療していきたかったんで、そこからあまり離れていない場所。それと当時両親が磯子区に住んでいたのが、もうひとつの理由です。
で、磯子区で場所を探してたときに、ちょうど今の山口歯科のところがテナントとして空いたのを、たまたまうちの親父が発見したんですね。勤務医として働いていた四年間をまるで待っててくれたみたいに感じたので、あの場所に決めました。
--- 2002年には、友生歯科を開業されました。
山口歯科一箇所だと、ちょっと手狭になってきたし、これからはいろんな治療をやってかなきゃいけない、もうひとつ医院が欲しいなって言ってたときに、これもグッド・タイミングで西武鉄道さんからお話を頂いたんですよ。こういうビル(磯子プリンスハイツ)が建つんだけど先生開業しませんか、って。
--- 医療法人の友生会を作られたのもその頃ですか?
そうです。理事長として医院を何軒か持つ場合は、医療法人化しなきゃいけないって医療法で決まってるんです。だから友生歯科を開業する準備として医療法人・友生会を設立したんです。
--- ところで、山口先生はインプラントをいつ頃から手がけていたんですか。
インプラント自体は、もう25年以上前からやってたんです。勤務医のときに、院長から「お前は器用だから最新の医療をやってみないか」っていう話を頂いて、インプラントの研究会にも行かせてもらったりして。
ただ、自分で開業してからは、磯子がどういう地区なのか、どういう患者さんたちがいて、どういうものを望んでるのかなっていうのを知りたかったんで、3〜4年はゆっくり様子を見ようと思って、インプラントは休んでました。それと昔のインプラントは、ハッキリ言ってあまりいい素材じゃなかった。信頼性が低い。だから、勤務医の頃は院長先生の指示でやってたとはいえ「ちょっとこんなもんで大丈夫なのかな?」って疑問を抱いてた部分もあったんですよ
--- それを再開した理由は?
キッカケは、開業してから3〜4年たった頃ですね、横浜市大の口腔外科の先生たちから「最近のインプラントは素材がずっと良くなってる」っていう情報を聞いたんです。チタンでできてるし、信頼度も高くなった。それなら患者さんにも満足してもらえるだろうから、またスタートしてみようと。
でも、これから積極的にインプラントに力を入れてやっていくためにはもうひとつ必要なことがある、口腔外科の知識と技術を学ばなきゃだめだなって自分で思ったんですね。それは、インプラントにはそういう知識や技術が要求されるような、難しい手術をしなきゃならないことがあるからなんですけど。
そんなときちょうど、僕の同級生が港南台の南部病院の口腔外科部長になって、「山口、たまには手伝いに来てくれ」って言われたんですよ。これ幸いと、それからは自分の医院が休診日だった毎週木曜日に南部病院に行って、日によっては朝の8時から夜の10時ぐらいまでずーっとオペ室に缶詰で、毎週毎週、ひたすら骨を削ったり、骨移植をしたり、そういう仕事を続けました。
その積み重ねが今の臨床に十分生かされてると思いますね。例えば(休診日の)木曜日にヨットやったりゴルフやったりっていう先生いますよね。でも僕はそれを10年以上しなかった。それが今は患者さんのため、それに病院経営のために十分生かされてると僕は確信してます。
歯科医っていうのは、やっぱり歯の修理屋じゃダメなんですよ。顎とかね、顎口腔系全体を治せるような「歯科医師」じゃなきゃダメだということね。
例えば、歯医者さんて普通は点滴しないでしょ。ウチはだいたい一日で5〜6人点滴してます。なんでかっていうと、もちろんオペをやってるから、腫れを防ぐための点滴もする。ほかにも、虫歯で顎の中に菌が入って腫れちゃった場合だと、普通の歯医者さんなら切開して、抗生剤飲みなさいで終わっちゃうかもしれない。でもウチはすぐに治してあげたい。そうしたら静脈確保して点滴します。そういった「歯科の医者」でなきゃいけないと僕は常々思ってるんです。
--- 友生/山口歯科には、若い先生が何人かいらっしゃいますが、後進の育成で心がけていることは?
いろいろあるんですが、ひとつは「勉強は終わってない」ってことですね。ライセンスを取った後も、勉強はずーっと続けなきゃいけないよってこと。歯科に限らず、医学は年々いろんなものができてきますよね。それに取り残されないように、自分の知識とか技術は常に勉強して身に付けていかなきゃいけないよって言ってます。9時に来て5時に帰ればいいっていうような感覚じゃ困る。常にイノベート、革新的な考え方でいて欲しいですね。
次に、木を見て森を見ず、ではダメ。歯だけを見るな、全体を見て治療しなさいっていうことですね。
3つめは、僕がこれだけ多くの、しかも難しいオペができるのは、みんなのおかげ。僕だけがいくら頑張っても限度があるんですよ。準備してくれるスタッフとか、CTを解析・分析してくれる人とか。要するにひとつのチームなんです。だからチームワークを大事にするように常に言っています。
まだ他にもありますけど、特に大事なのはいま言った3つ。それと、それ以前の大前提なんだけど、患者さんのことを第一に考えないとダメですよね。それが大前提ですよ。まずそれがあってこその、今言った3つのポイントなんです。
僕はこの先、何年・・・10年、15年できるかわかんないけど。ウチには、手術中に僕の目線から見た動画、ビデオを撮影できる設備があるんですね。オペの場に立ち会えない先生も、後から僕の目線で治療の様子が見られる。決して安くはないその機械も、後輩っていうか、これからの歯医者を育てていかなきゃいけないなっていう思いがあって導入しました。そういうことに、これからも力を入れていかなきゃいけないなって思いますね。
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--- 最後に少し柔らかい話を。磯子はどんな場所ですか?
いろんな人がいますね。で、いい人が多い。そんな気がします。
--- 近所でおすすめのお店があったら教えてください。
目の前の中華料理の「広」さんですね。中華、好きなんですよ。おすすめはサンマーメンですね。
--- ご趣味は?
ときどき日曜日に、同業者ではない、いろんな人たちとゴルフをしてます。いろんな話が聞けるので、勉強になりますね。
--- ちなみにスコアはどのくらい?
お遊びだから(笑)。90から100の間です。
--- 他に趣味はありますか?
ちょっと前に英会話を習ってました。以前、インプラントの勉強でニューヨークに行ったんだけど、その準備のための勉強で、医院まで家庭教師に来てもらって。月曜日から金曜日まで、診療の昼休みの午後1時から2時半まで、昼飯も食べずに習ってましたね。
あ、もうすぐ午後の診療が始まるんで、この辺でいいですか?
--- あっ、はい、すいません。今日は長時間、ありがとうございました。
というわけで、昼食の時間を削ってまでインタビューに答えてくださった山口先生、どうもありがとうございました! |