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根岸ステークスの根岸って、あの根岸?

2014年2月10日作成
2月2日(日)に東京競馬場で開催されたレース「根岸ステークス」。重賞(GIII)、ダート1400m。今年は「ゴールスキー」という7歳のオス馬(牡馬)が勝ちました。

イメージ画像ところで、根岸って、あの根岸?

そうです。

根岸線の根岸。根岸駅の根岸。その根岸です!

「根岸森林公園」という広い公園が、中区のなかでも磯子区寄りの丘の上にあります。最寄り駅は磯子区の根岸駅です。多くの方がご存知のようにあの公園は昔、根岸競馬場という競馬場でした(今もスタンドが残っていますね)。それを記念して1984年から毎年開催されているのが根岸ステークスなのです。



と、それだけで終わってはおもしろくないので、もう少し根岸競馬場について、そして横浜での競馬について調べてみると、いろいろなエピソードが出てきました。うんちく話として誰かに自慢してみてください!

根岸競馬場は、日本で最初の(ちゃんとした)競馬場。
横浜開港が1859年。「外国人の要望」により根岸競馬場が完成したのが1866年。たった7年で日本に競馬場を作らせてしまうぐらい、外国人は競馬が好きだったようです。
しかも、根岸競馬場の完成以前にも、横浜のいろいろな場所で競馬が行われていたそうで、最初に行われたのが開港翌年の1860年。また、その2年後の1862年にはいまの中華街のあたりに一周1200mの仮コースが作られて競馬が行われました。1200mといえば、いまの川崎競馬場と同じ長さですから、相当な大きさです。
天皇賞の前身レースは根岸競馬場で行われていました。最初のころは賞金はなくて、花瓶などの賞品が明治天皇から贈られていました。
日本で初めて馬券が発売されたのも根岸競馬場。1888年(明治21年)のこと。馬券はギャンブルであり、当時は本来なら違法だったのが、「根岸競馬は居留外国人が中心だったこともあって」特別に許されていたらしいです。
日本で競馬をやろうとしたり、競馬場を作ろうとした「外国人」が、具体的にどこの国の人なのか、参考にした資料には、はっきりとは書かれていません。ですが、根岸競馬場で重要な役割を果たした人物として挙げられている4人のうち3人がイギリス人です(残る1人は出身国不記載)。なのでおそらく、競馬発祥の地・英国から来た人たちが、「はるばる日本に来てまでも、競馬をやりたくてしょうがなかった」のだと思われます。
根岸競馬場を運営していた日本レースクラブには、大隈重信や伊藤博文、井上馨ら、歴史上の著名人物が会員として名を連ねていました。


参考資料
『文明開化と近代競馬』(馬の博物館・編、2009) ← 磯子図書館名など、横浜市立図書館で借りられます。

関連リンク
○根岸森林公園にある根岸競馬記念公苑(馬の博物館) 紹介ページ (日本中央競馬会 公式サイト内)
○Wikipediaの根岸ステークスの解説ページ
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