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原爆で我が子を亡くした母の想いが朗読劇に

2009年8月1日取材
朗読劇『慟哭』のCD先日、告知記事を掲載した「朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い」の取材に行ってきました。まずは告知記事の一部を再録いたします。

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広島の原爆で中学一年生の長男を亡くした女性・酒井乙女さん(故人)が、手記『慟哭』を書き上げたのは、原爆投下から35年後の1980年。それからさらに約30年の時を経て、この手記が、洋光台の人たちの手で朗読劇になりました。

キッカケとなったのは、酒井さんのお嬢さんと結婚した森孝夫さんという現・洋光台在住の男性が、2年ほど前、友人でやはり洋光台にお住まいの中野堅五さんに『慟哭』を手渡したことでした。内容に感銘を受けた中野さんは「朗読劇を作って、多くの人に『慟哭』を知ってもらおう」と提案したそうです。ひとり、またひとりと賛同する仲間が増え、四丁目自治会館や中野さんの自宅で朗読の練習を重ね、とうとうCDが完成しました。政治団体などと関係なく、『慟哭』に感動した洋光台の市民ひとりひとりの力が集まってできた朗読劇であり、CDだそうです。

(パンフレットより抜粋)
このほど、「洋光台を愛する仲間」の皆さんのお骨折りで、『慟哭』の朗読劇のCDが完成いたしました。
間もなく8月6日が巡って参ります。今一度、あの悲惨な出来事を思い起こし、核兵器の無い安全な地球への願いを新たにいたしましょう。
今回はCDのバックグラウンド・ミュージックを担当された中野雅子さんのピアノ演奏も併せてお楽しみいただきます。
お誘い合わせの上、大勢の皆さまのご来聴をお待ちいたします。

(『慟哭』はしがきより抜粋)
今残しておかなければ、この戦争の残酷さ、非情さを知らぬ人ばかりになると、初めてペンをとる決心をいたしました。安易な主義主張で原爆反対の教材に使われることがないようにと願いつゝ、ただ追憶の記録として−。

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当日の8月1日(土)、会場となった洋光台ケアプラザ2階の部屋に到着すると、会場は既に満員でした。参加者には『慟哭』の本(またはそのコピー)が配られ、それを読みながらCDを聞くようになっています。
朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い 朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い
約70あった会場の椅子が足りなくなりそうなほど多くの参加者が訪れました。
中野堅五さんが朗読劇とCDを制作することになった経緯を説明。
朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い 朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い
スライドに映っているのが『慟哭』の著者・酒井乙女さん。パソコンを使って、登場人物や地理を説明している手前の方が、酒井さんの義理の息子にあたる森孝夫さん。
広島の地理の説明もありました。
朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い 朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い
CDの再生が始まり、参加者は『慟哭』の本を目で追いながら聞き入っています。
途中に、CDでもBGMを担当した中野雅子さんによるピアノの生演奏がありました。
朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い 朗読劇『慟哭』のCDとピアノを聴く集い
森孝夫さんは、洋光台文化を作る会などでも要職をつとめられています。
朗読劇CDの制作に携わったスタッフの方たち
(クリックで拡大します)
CDの再生が終わると、参加者の感想を話す時間が設けられました。そのいくつかをご紹介します。

「朗読も素晴らしく、酒井さんの気持ちが伝わってきました。胸に迫りました」

「私は原爆で亡くなった春之さんと同世代で、戦争中は円海山のふもとに住んでいましたが、横浜では空襲がひどかった。当時、自分は小さくてよくわからなかったが、今日の朗読を聴いて、乙女さんと似たような境遇にあった自分の母の想いがわかりました」

「今後、このCDをどのように広めていくんですか」という質問も出て、主催者からは、今後近隣地域や小学校・中学校などで聞いてもらう機会を作りたいとの回答がありました。また、すでに酒井さんの故郷のまち(広島県内)から、ぜひ聞きたいという要望があり、CD100枚を贈呈したそうです。

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当時12歳だった酒井春之さん(旧制中学の1年生)は、廿日市の自宅から、建物疎開の作業(※)を行うために広島市内に出かけ、爆心地のすぐそばで被爆。夕刻、約15キロの道のりを何とか自宅まで辿り着いたが、ほどなくして亡くなってしまいました。
『慟哭』では、何が起きたのかどんな状況なのか、そういった情報がほとんど入ってこない中、息子の安否を心配する母・酒井乙女さんの焦る気持ち、そして息子を失った悲しみがつづられています。誰か・何かを恨んだり、怒りの矛先を向ける、そういった文章が全くといっていいほど無く、それがいっそう息子を亡くした母の深い悲しみを感じさせます。

建物疎開とは、空襲による火災の延焼を防ぐために、あらかじめ一部の建物を壊して空き地を作ることだそうです。

関連リンク
爆心への幼き動員(中国新聞):このページには、広島二中の生徒たちが原爆で数多く犠牲になった経緯が記されています。1年4学級のページには春之さんのことも書かれています。

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『慟哭』のCDは実費500円のみで希望者にお分けするそうです。お問い合わせは045−833−1313(中野堅五さん)まで。なお、郵送の場合の送料は直接、中野さんにお問い合わせください。CDには、『慟哭』の朗読に使われた部分(原著の約3分の2)が本になって添付されています。本文30ページあまり。
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