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東漸寺の厄除地蔵尊と、小説の登場人物のお墓

2009年7月作成
いま恐らく磯子区で最もニギヤカで人の多いのが杉田の街。JR、京急、シーサイド・ラインと3つの鉄道が走っていて、新杉田駅と杉田駅の間の杉田商店街(ぷらむろーど)は、乗り換えの人通りが絶えません。

でも、そのすぐ近くに、とても静かなお寺があります。鎌倉時代に建てられた東漸寺(とうぜんじ)です。東漸寺を訪れると、その静かさにいつも驚かされます。近くに駅が2つあり、国道16号からもほんの数十メートルしか離れていないとは、とても思えません。

東漸寺の厄除地蔵尊

そんな東漸寺の敷地内にある厄除(やくよけ)地蔵尊が、5月に場所を移動(※)しました。
※正式には「遷座」(せんざ)と言うそうです。
東漸寺 東漸寺
こちらが東漸寺
お地蔵様が右奥から左手前へ移動。
東漸寺 東漸寺
お地蔵様が前にあった場所は跡が白く残っていました。
東漸寺の酒井住職
東漸寺
厄除け地蔵の説明
遷座が行われてまもなく、このお地蔵様について、東漸寺の酒井住職と総代の間邉さん、そして遷座の工事を担当した間辺工務店の間辺昭夫さんに、お話を伺いました。

閻魔様の化身とも言われているお地蔵様は、民間信仰が起源で、民衆と苦楽をともにする仏様。東漸寺のお地蔵様も、もともとは、約150年前、村の人が願をかけて厄除けで作ったと言われているそう、以前から、多くの人がお参りしていました。中には毎日のように訪れる人もいるそうですが、特にこのところ、世の中が不況だったり、嫌な事件が多かったりするせいか、さらにお参りする人が増えているとのこと。

一方でお地蔵様は、角地(かどち)にあったため、少しお参りしづらかった。それで、お参りしやすい場所に数十メートル移動することになったんだそうです。

お地蔵様の向きは以前と変わらず東向き。ご本尊も東を向いているそうで、酒井住職によると、「仏法東漸という言葉もありますし、もしかしたら東漸寺という名前とも関係あるかもしれません」とのこと。

酒井住職「おかげさまで、お参りしやすくなりました。それがなによりです。お地蔵様は民間信仰なので、宗派・宗教に関係なく多くの方にお参りして欲しいと思っています。」

間辺昭夫さん「地域の大切なお地蔵様なので、心をこめておつくりしました。」

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ところで、杉田地区とお地蔵様の関わりについて、もうひとつ、有名なお地蔵様にまつわるエピソードを住職から教えて頂きました。

鎌倉の建長寺は本尊が4mぐらいの大きなお地蔵様なのですが、その本尊の胎内には、以前、内仏(ないぶつ)といって、高さ一寸の小さな済田(さいた)地蔵が収められていました。その名前の由来となった済田というのは、杉田地区に昔から住んでいる一族の名前なんだそうです。ちなみに、建長寺の済田地蔵は今は本尊とは別に安置されていて、今は年に一回、11月3日の文化の日に一般公開されます。

※このお話の詳細は建長寺の公式サイトに詳しく記されています。
 ここをクリック(建長寺 公式サイトへ) → 上部メニューの「歴史」をクリック → 左メニューの「建長寺物語」
 → 目次の「(一) 地獄谷と心兵寺」をクリック

小説の登場人物のお墓

鎌倉時代から続く、歴史あるお寺だけあって、東漸寺には多くの重要文化財(国、県、市)があるのですが、それだけでなく、ちょっとユニークなものがあるので、ご紹介します。それが小説の登場人物のお墓。

お墓の名は「執筆殺人供養碑」。作ったのは、推理小説作家の斎藤栄さんです。元横浜市職員で、磯子区在住の斎藤さんは多作で知られ、その著書は400冊を優に超えると言われています。

推理小説の中ではたいてい殺人が起きますが、多作な斎藤さんは小説の中で年間30人〜40人の人を殺している。そんな被害者たちの霊を弔(とむら)うために、このお墓を建てることを発案したんだそうです。

お墓の形もユニークで、本を開いたところに「人の心こそ最大の謎である 齋藤栄」とう文字が刻まれ、短剣が刺さっています。

このお墓については、斎藤さんの著書『神さまへの手紙』(出版芸術社)に詳しく書かれています。この本は、磯子図書館(区役所地下)の一番奥にある郷土資料コーナーにも置いてありますので、皆様、いちどご覧になってみてください。確か蔵書の分類番号は160番です。
東漸寺の「執筆殺人供養碑」 東漸寺の「執筆殺人供養碑」
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