根岸湾は飛行艇の海だった
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2009年6月18日取材 |
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磯子マガジンに「こんど杉田劇場で飛行艇のシンポジウムがあるんだって? 模型も展示されるんだよね。見たいな〜」という問合せや期待の声が何人もの方から届きました。
それが、磯子区で行われる横浜開港150周年記念事業の中でも、相当に注目を集めているシンポジウム「もうひとつのミナト・ヨコハマ・・・根岸湾は飛行艇の海だった」です。主催は「飛行艇の海」シンポジウム実行委員会。代表は磯子マガジン読者の方にはおなじみの磯子の歴史博士・葛城峻さんです。
【パンフレットより抜粋】
昭和15年に根岸湾北岸の「大日本航空(株)海洋部横浜支所」で大型飛行艇による南洋諸島への定期航空便が始まりました。(中略)
戦争なかりせば、この地はアジア各地、アメリカ、オーストラリアなどとの海外航空路の中心となり世界中の人で賑わったはずです。まさに根岸湾は「飛行艇の海」の名にふさわしいところでした。
開港150周年にあたり「船のミナト」だけではない「もうひとつのミナト・ヨコハマ」として発祥の歴史を掘り起こし先覚者たちの苦労と先進技術の遺産を後世に伝えたいと思います。 |
磯子マガジンは6月18日、シンポジウムの前日に、模型とパネル展示を見るために、杉田劇場に行ってまいりました。
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6月19日(金)午後1:30〜、杉田劇場コスモスで開催される「飛行艇の海」シンポジウムは既に定員に達したため、募集は締め切られています。 |
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こちらが非常に話題を呼んでいる「二式大艇」の模型。 |
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サイズは実物の1/10。全幅約4メートル、全長約3メートルだそうです。 |
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模型とはいえ、相当な大きさ。そして、正面から見ると、今の飛行機よりだいぶ「細面」(ほそおもて)に見えます。 |
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見学に来ていた何人かの方にお話を伺ったところ、「新聞を見て展示を知った」という方がほとんど。中にはご夫婦連れでいらして、「主人に連れられて来たんです。昨日の夜から主人がすごく楽しみにしていて、家ではその話ばっかりだった」と笑顔で話してくれた奥様も。
また、戦争当時、根岸湾の飛行艇のすぐそばで飛行機のお仕事をされていたという方もいらっしゃいました。その方は岡村にお住まいの福田さん(81)。まだ十代も半ば過ぎの頃、「赤トンボ」と呼ばれた日本軍の練習機に関するお仕事をされていたそうで、当時、何度も飛行艇を見たのはもちろん、停泊(というんでしょうか)している飛行艇の中に入ったこともあるんだそうです。福田さん、模型を見ながら「懐かしいな〜」と何度も嘆声をあげていらっしゃいました。
飛行艇の模型とパネルの展示は6月23日(火)まで杉田劇場のロビーと通路で行われています。毎日午前9時〜午後5時です。
ロビー展示の内容(観覧無料)
○横浜国大実験用2式大艇モデル (木製・初公開)
○飛行艇搭乗機関士 武宮清秀氏遺品 (松岡洋右外務大臣発給旅券・搭乗員手帳ほか)
○根岸湾と飛行艇関係文書・写真のパネル (昭和14年横浜市議会議事録写しほか)
○根岸ほっこり村学童の共同制作画 「根岸湾は飛行艇の海だった・・・もう一つのミナト・ヨコハマ」 |
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