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店長さんが語る浜マーケットの歴史

2006年10月作成
浜マーケットができたのは、戦後まもなくの1945年(昭和20年)頃。神奈川区の六角橋商店街などと同じように戦後の闇市が発展してできた商店街です。

今夜は浜マーケットでお店を営む3人の方に、ご用意頂いた浜マーケットの昔の写真を見ながらお話を伺いました。

高木店長(はまや高木食品) :1944年(昭和19年)生まれ、62歳
中里店長(シューズの旭屋) :1948年(昭和23年)生まれ、58歳
池谷店長(浜ミート) :1963年(昭和38年)生まれ、43歳

※座談会の写真のように見えるものは、実は座談会後に打上げの席で撮影したものです。そいういうわけで、座談会には都合で欠席だった高木店長のご長男・貴広さんも写っています。

浜マーケットは戦車を通すための道路だった

浜マーケットの店長さん
左から貴広さん、高木店長、中里店長、池谷店長
--- それでは、今日はよろしくお願いします。(と、磯子マガジンがレコーダーのスイッチを入れると・・・)
池谷さん(浜ミート) 録音するの? 緊張するなぁ(笑)。

--- (笑)。気楽にお話しください。浜マーケットができたのは、1945年頃ですが、池谷さんはもちろん、高木さんも中里さんも浜マーケットにはいらっしゃらなかったんですね。
高木さん(はまや高木食品) そうですね。
中里さん(シューズの旭屋) 僕は昭和23年生まれですからね、池谷君と同じで僕もまだ生まれてなかった(笑)。

--- 当時のお話はいろいろお聞きになってますか?
中里 そうですね、マーケットの古株の方にお話を聞いたりね。
(※磯マガ注:浜マーケットの方たちは浜マーケットのことを「マーケット」と呼びます。)

--- マーケットができる前は何があったかご存知ですか?
高木 11m幅の道路です。戦争中にね、戦車が岡村から国道16号へ通り抜けられるようにって、道路が造られたんです。岡村に基地があったからね。

--- 戦車のための道路ですか。
高木 そう。でも、実際に使われる前に戦争が終わっちゃったんだ。で、道路だけ残ったの。それを吉田小源治っていう、屏風浦だったか白旗だったか、その辺の出身の人が仕切ってね、一間間口(いっけんまぐち=横幅約1.8m)の敷地にして、みんなにずーっと貸したんだよね。それが闇市ですね。

--- 仕入れはどうしてたんでしょうね。
高木 闇ルートだよね。だから警官がときどき取り締まりに来たらしいね。そうするとビャーって下へ隠すとか、裏へ持ってっちゃうとか。そういう風にしてたみたいよ。
池谷 旭屋さんは浜マーケットができたときからやってるんですか?
中里 どうかな・・・。できて1、2年たってからじゃないかな。
池谷 じゃ、中里さんが生まれる前からやってるんですね。
中里 そうだね。うちはマーケットに移ってくる前は四間道路でお店やってたから。
池谷 じゃあ、はまや(高木食品)さんより古いんですか。
高木 ウチより古いだろ。ウチはね、親戚がマーケットでパチンコ屋やってたんだよね。

--- え? 浜マーケットの中にパチンコ屋さんがあったんですか。
高木 あったんですよ。
中里 僕は記憶にないけど。
池谷 キャバレーもあったんですって。
高木 あった、あった。あと代書屋さんもあったね。糸とかボタンを売るボタン屋さんもマーケットの入口のとこにあったね。
池谷 今の片野青果店さんのお隣にもありましたよね。
高木 あぁ、あったね。あっちの方が新しいんじゃないかな。

昭和53年、磯子区制50周年の記念事業として発行された『磯子の史話』という本に、浜マーケットが闇市だった頃の記述がありましたので、ご紹介します。

(前略)そんなやみ市が磯子にもありました。市電の浜停留所前から磯子小学校の横をぬけて岡村へ通じる疎開道路は、民家を取除いたままで終戦になったために、空地として放置されていました。ここに肥後組の吉田某が、みかん箱の上に野菜や菓子・日用品などを並べて商(あきな)ったのがきっかけで、三・四軒から十数軒となりました。警察署や区役所の近くであったことや、磯子区の市街地の中央に位置するという立地条件に支えられ、いつのまにか食糧品・日用品・雑貨のセンターを構成するようになりました。ふつうは手に入れることがむずかしい品物も、ここへくれば買うことができたそうです。そんなわけで根岸や森町の方からも買い物にくる人が絶えなかったようで、そのにぎわいはたいへんなものとなりました。

厚木から浜マーケットまで自転車通勤

高木さんと中里さん--- 昔はお店の一軒、一軒の広さはもっと小さかったんですか?
高木 小さかったね。いまのウチ(はまや高木食品)なんかは昔の三軒ぶんくらいかな。
池谷 じゃ、みんないまのウチ(浜ミート)くらいの間口だったんですね。
高木 そうそうそう。最初はみんなあの広さだったのよ。うん。

--- 浜マーケットの最初のときから今でもお店を経営されてる方はいらっしゃるんでしょうか。
高木 まつのや菓子店だな。16号側から入ってすぐ右の駄菓子屋さんね。業種は昔は違ったけどね。
中里 ラーメン屋さんだったり、ケーキ屋さんだったりしたね。
高木 100円ケーキやったりね。
池谷 うなぎの小島家さんはどうなんですか? 最初から?
高木 小島家さんは一期じゃないだろ。二期ぐらいかな。最初はやっぱり一間間口でやっててね。その後、今の場所に移って。
池谷 話を聞いてると、ウチ(浜ミート)なんて新人ですね(笑)。

--- 昔はアーケード(商店街の屋根)も無かったんですよね。
高木 おれが初めて来た頃には無かったねぇ。夏になると暑いから、店の前に簾(すだれ)をかけて日よけにしてね。

--- 高木さんが浜マーケットに初めていらしたのは?
高木 6歳ぐらい。親父の実家がある厚木の方に住んでたんですよ。で、親父がマーケットに店を出したからね、おれも一緒に厚木からここまで通ってたの。親父がこぐ自転車の、前のところに乗っかって(笑)。

--- 厚木から自転車ですか。凄いですね。
高木 それもあの頃はさ、今と違ってすごい重たい自転車だからね。で、砂利道でしょ。凄いよね(笑)。それで親父はここ(浜マーケット)から横浜の中央市場まで仕入れに行くのにも自転車(笑)。

貴広さんと高木店長--- 家までの帰り道も当然自転車ですよね。
高木 もちろん。帰りは夜になるから当時なんか周りは真っ暗でさ、野良犬がわんわん追っかけてくるんだ(笑)。そういう怖い記憶が残ってるね。厚木まで自転車でどれくらい時間がかかったとかは覚えてないんだけど(笑)。

--- 当時はクルマとかバイクってあんまり無かったんですか?
中里 なかったねー。
高木 まぁ、全くないことはなかったんだろうけど、ほとんど走ってなかったね。
中里 クルマなんて高級な乗り物だったもんね。

昭和20年代の浜マーケット

昭和30年代の浜マーケット--- この写真はいつ頃のものでしょう。
高木 これは昭和20年代だね。この裏の山の風景見ると、恐らく16号側から写してると思うんだ。磯子観音ていう観音様があったんだよね。今はもうなくなっちゃいましたけどね。

--- マーケットの道が今より広く見えますけど。
高木 あぁ、変わったでしょうね。前にせり出してきた感じで。

--- 「物価引き下げ運動」っていう看板がありますね。売り値じゃなくて、物価そのものを下げちゃうんですね(笑)。その横には、「磯子マーケット」って書いてあります。
池谷 えっ? 磯子マーケットって書いてあります? あ、ほんとだー!

--- ところで当時は電気冷蔵庫は無かったんですよね。
高木 氷で冷やしてたねぇ。
中里 一貫目だ、二貫目だって言ってね。冷蔵庫も氷を入れてやってたんですよね。

--- あ、その冷蔵庫は根岸の旧柳下邸で見たことあります。上のタナに入れた氷で、下のタナのものを冷やすんですよね。
高木 そう、それだね。
池谷 氷は1日に1個買うんですか?
中里 そうそうそう。だいたい1日でとけちゃうんだよね。
高木 最近は逆にね、ちょっと高級なところは氷を使うもんね、寿司屋さんでもさ。湿度も温度がちょうどいいっていうんで。

--- 昔はどんなお店が多かったんですか?
高木 やっぱり、八百屋だろうな。なんていったって戸板でできるからね。
池谷 20年ちょっと前かなぁ、僕がここに勤め始めたときは同業の肉屋が5軒ありましたよ。乾物屋さんも多かったですね。
高木 あぁ、そうだねー。それと海を埋め立てる前は、アサリとかのむき身専門の店もあったね。
中里 あとシャコを売る店とかね。シャコの足をハサミで切ってね。マーケットよりもうちょっと海のそば、市電の停留所があったあたりでやってたんだけど。
高木 漁師やってる人が海で捕ってきてさ。お客さんの注文が入ると、ハサミでシャーッてね。
池谷 磯子駅ができたのはいつ頃ですか?
中里 昭和39年(1964年)だね。最初は根岸線は磯子駅までだったんだ。
池谷 へー。知らなかった。

花電車ってなんですか?

芦名橋と市電--- 2枚目の写真には市電が写ってます。芦名橋という停留所の名前も見えます。市電が走ってたのは1972年(昭和47年)まででしたよね。
高木 そうですね。オレは高校に市電で通ってたんだよ。

--- 市電はいつ頃からあったんですか?
高木 いつ頃かなぁ。

--- 高木さんや中里さんが浜マーケットに初めて来たときからありました?
中里 記憶の範囲では最初からあったね。
(※磯マガ注:後で調べたところ、市電が八幡橋まで開通したのはなんと明治45年でした。その後、大正14年には磯子まで延び、昭和2年に杉田まで開通したそうです。)

--- じゃぁ、普通に足として市電を使ってたんですね。
中里 そうだねぇ。僕も市電で高校に通ってたね。夏になると花電車が走ってね。

--- 花電車ってなんですか?
池谷 あ、僕もそれ知りたかった。なんですか、花電車って?
中里 市電の車両がオープン・カーになってんの。上半分ないのよ。で、花で飾ってあんの。
池谷 へー。
高木 夜になると電飾をピカピカさせてね。
中里 あれは確かティッシュで作った花だったんじゃないかな。
高木 そうそう。運動会の飾りつけみたいなやつね。

--- 市電の車両全部が花電車になるわけではないんですか?
高木 うん。そうじゃないね。何台かね。
池谷 市電に乗って浜の停留所で降りてマーケットに買い物に来るお客さんなんか多かったんですか。
高木 そうだね。杉田方面から来たりとかね。
(※磯マガ注:市電は1967年まで杉田が終点。その後、市電が全廃される1972年までは芦名橋が終点でした。)

--- バスは無かったんですか?
中里 あったけどねぇ。でもやっぱり市電の方がなじみがあったね。それで、この線路のところは5ナンバーのクルマ、乗用車しか走っちゃいけないっていう決まりがあってね。ライトバンとか軽自動車は走っちゃいけないんだよね。

中里さんと池谷さん--- 乗用車は市電が走ってる時間帯でも走っていいんですか?
中里 いいの、いいの。だから、電車の後ろにくっついていって、バーッとね(笑)。

--- ここに写ってる建物は今でもあるNTTですよね。
高木 そうそう、そうですね。
池谷 NTTのあのビルはこんな昔からあるんですか。じゃ、画期的な建物なんだ。
高木 で、この後ろにチラッと見えるのがバスだろ? バスの向こうに見える屋根の建物は今の四季浪漫だね。

昭和50年代の浜マーケット

--- 3枚目の写真ですが、この頃はもうアーケードはできてたんですか?
高木 これは30周年って書いてあるから、昭和50年(1975年)くらいですね。
池谷 僕が小学校5年くらいのときだな。アーケードはありましたよ。ここの先に駐車場があって、そこでよく野球やりましたよ。人の敷地に勝手に入ってやってたからね、よく怒られて(笑)。で、こっちの方にはたいやき屋とか紙芝居とかよく来ててね。『泳げたいやき君』ていう歌がはやった頃でたいやきがすごく売れててね。で、僕なんかは「マーケットの子ども達はうるさいから向こう行ってろ」なんて屋台のおじさんに言われて(笑)。

--- 昭和50年ていうと、写真はもうカラーが普通でしたよね。
池谷 そうですよねー。この写真、カラーが色あせちゃったのか、元々白黒のフィルムを使ったのかわからないですけどねぇ。あ、ここにリヤカーでお店やってたおじさんの店が写ってる。5円とか10円とかのちっちゃいオモチャ。めんことか、そういうのを売ってたんですよ。そのおじさんがいつもウチの親父の自転車に勝手に乗って、出かけていくんですよ(笑)。

--- ちんどん屋さんが写ってます。
池谷 ちんどん屋さんはよく覚えてますよ。子どもの頃、ついて歩いたな。

--- この写真だと通路はもう舗装されてますけど、舗装されたのはいつ頃ですか? アーケードと一緒に?
高木 そうだったと思います。舗装する前は砂利道だったからね。
中里 しょっちゅう水をまいた覚えがあるなぁ。じょうろで。冬なんか乾燥しちゃって、お客さんが通るたびにホコリがまうような感じで。
高木 で、雨が降るとドロドロになっちゃうしね。

--- 昔は人通りが多かったですか?
中里 多かった! 周りの人と方がぶつかるようなね。昭和40年代、50年代くらいかな。
高木 押し合いへし合いだったね。スリが出るくらいだったから。

浜マーケットの名物おじさん

中里さんと池谷さん--- マーケットの名物の人っていましたか?
高木 小島家さんの、今のご主人のお父さんの米吉さんが名物だったね。
中里 あぁ、そうだねー。亡くなられてから30年くらいは経つかな。
高木 頭ツルツルで、フンドシ一丁でウナギ焼いてたんだよね(笑)。丑の日なんかは若い衆が3〜4人かな、もうちょっといたかねぇ、彼らにウナギを焼くのは任せてね。自分はハンドマイク持ってさ、お客さんの列の整理。「順番にお願いします!」って叫んでたねぇ(笑)。お客さんがザーッと並んじゃうくらいの人気でさ。
中里 で、冷房が無いからお客さんも暑いだろうって、通路に氷をぼんぼん立ててね。

--- 楽しい方だったんですか?
中里 そうだねー。明るい方でね。ヒゲが高木さんとちょっと違うんだけど、カトちゃんみたいなヒゲをはやしててね。(一同笑)
高木 まん丸な顔でね。下駄はいてな。

--- それじゃ、そのまんまカトちゃんみたいですね(笑)。
池谷 いまの若い人じゃ知ってる人いないでしょうねー。見てみたかったなぁ。


--- 今日は貴重なお話し、楽しいお話しをたくさんお聞きできました。どうもありがとうございました。

参考リンク
◆武相高校鉄道研究会の横浜市電のページ このページを見ると、芦名橋までは市電が全廃されるまで残っていたことがわかります。
『浜マーケット・エリア』紹介ページへ
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