トップ イベント
カレンダー
お出かけ
アドバイザー
根岸
タウンマップ
磯子
タウンマップ
杉田
タウンマップ
洋光台
タウンマップ
地元で働く!
求人情報

磯子区の有名人・特別篇 水木昌平さんインタビュー

2007年6月作成
★磯子区出身、若き演歌の星・水木昌平さん★
水木昌平さん
おなじみのポスターを前に
以前、「磯子区の有名人」コーナーでとりあげた、磯子区出身の若き演歌の星、水木昌平さんのインタビューが実現!

まだ28歳の水木さんが演歌の道に進んだ理由、地元磯子への想い、新杉田の「やきとり工房」でアルバイトをしていた経験など、いろんなお話しを伺いました。

インタビューを行った場所はカラオケスナック花水木。磯子のピアチェーレや天ぷらの井筒のすぐそばに、この5月にオープンしたばかりのお店で、水木さんのお母さんが経営されています。

磯子区から全国へ羽ばたいていく水木昌平さんの応援をよろしくお願いします!

ニュース!
水木さんの公式サイトと、公式ブログがオープンしました。

ニュース!
水木さんのディナーショーを取材してきました。詳しくはコチラ!

ニュース!
水木さんは石川県金沢市のFM曲でレギュラー番組を持っているのですが、その石川県の酒造会社「松波酒造」さんによる、水木昌平ラベルのお酒ができたそうです。その名も「昌平の演歌酒・望郷譜」。詳しくはコチラ(blog 大江山 若女将の酒楽日記)をご覧ください。

水木昌平さんインタビュー
プロフィール
インタビュー1 はじめは演歌じゃなくてチューブの曲を歌ってました
水木昌平 フォトアルバム1
インタビュー2 新曲は秋頃にリリース予定です
水木昌平 フォトアルバム2
インタビュー3 2年ぐらい、新杉田のやきとり工房でアルバイトしてました
ミニ対談:演歌の水木さんとロックな野木社長の関係
※このページの情報は取材時点でのものです。
水木昌平さんプロフィール
名前 水木昌平 (本名:福本昌平)
生年月日 1979年(昭和54年)5月26日 28歳
学歴 北里大学 理学部物理学科 卒業
芸歴 各種カラオケ大会にて優勝の経験を踏まえ
2002年(平成14年)2月 作詞家・結城 忍氏に師事
同年10月 作曲家・水野 昭太郎氏を紹介され師事し現在に至る
2005年(平成17年)3月16日 日本クラウンより『望郷譜 c/w氷雨の宿』で歌手デビュー
連絡先 (株)歌研工房 〒156−0043 東京都世田谷区松原3−27−18 電話:(03)3323−3005
水木昌平後援会事務局 〒235−0023 横浜市磯子区森1−15 電話:(045)761−0859
はじめは演歌じゃなくてチューブの曲を歌ってました
水木昌平さん
水木 昌平(みずき・しょうへい)さん
28歳('79年生まれ)
出身:磯子区
磯子区歴:生まれたときから現在まで磯子区。
---プロフィールを教えてください。
水木:はい。本名は福本昌平といいます。水木昌平は芸名です。1979年生まれの28歳。2005年に『望郷譜』(ぼうきょうふ)という曲でデビューしました。磯子生まれの磯子育ちで、今でも磯子に住んでいます。

---プロデビューのきっかけは?
水木:2004年の歌謡選手権大会(主催:日本大衆歌謡指導協会)の一般部門で優勝したことですね。審査委員長は松井由利夫先生っていう、氷川きよしさんのほとんどの曲を書かれている作詞家の先生でした。

---歌った曲は覚えてますか?
水木:はい。北島三郎さんの『十九のまつり』です。ド演歌です。審査員の、塩入二郎先生っていうプロデューサーの方から「若い人がド演歌を歌うのはすごくイイ。特に、ド演歌を歌う男がいなかった。キミ、すごくいいから、一生懸命頑張れば絶対成功するよ」って言われて。プロの方にそう言って頂けて、すごく自信になりました。

それで、その賞状を持って、鳥羽一郎さんの『男の港』を作詞した結城忍先生をたずねて行きまして、翌年、デビューすることができました。

---昔から歌手を目指していたんですか?
水木:そうですね。高校のときに文化祭の前夜祭で生ギター3人のユニットで出演したときの気持ち良さが忘れられなくて、そのときから将来は歌手になりたいと思ってました。

ただ、僕は大学時代、20歳のときに親父をガンで亡くしたんですが、その親父との約束で、大学だけは出なきゃっていうのがあったんですね。だから本格的に歌手になるための活動を始めたのは、大学を卒業してからです。

---卒業後はどんな活動を?
水木:バイトしながらお金貯めて、いろんな大会カラオケの大会とかを自分で調べて出場してました。目標に向かって一直線っていう感じで、今思うとすごく充実してましたね。

当時はプロの先生のレッスンに通うわけでもなく、いろんなスナックとかで歌ったり、家で歌ったりして練習して。だから、母も今でこそ応援してくれてますけど、当時は大反対でしたね。「あんたナニやってんの、大学まで出て」って。

でも、大会で優勝してトロフィー持って帰ったりするうちに徐々に母も変わってきて。「あんた、あそこの歌い方、もう少しこうした方がいいんじゃないの」なんて言うようになりました。

---ところで、最初から演歌歌手が目標だったんですか?
水木:いえ、最初は演歌っていうのは全く頭に無くて。だから、大会に出始めた頃に歌ってたのは演歌じゃなかったですね。えーっと確か、チューブの『ガラスのメモリーズ』なんかを歌ってたんじゃないかなぁ。

優勝トロフィー
中央が大会優勝時のトロフィー
---では、どうして演歌を?
水木:ほんとひょんなキッカケなんですけど、母の職場の知り合いのお姉さんが作詞家の結城先生だったんですよね。で、僕が「歌をやりたい」っていうようなお話しをしてたら、「あなた、演歌はどうなの?」って言われて。それで演歌を歌ってみたら、すごく難しかったんですよ。

鳥羽一郎さんの『兄弟船』にもビックリしましたね。「こんな歌あるんだ!」って。今までGlayやB'z、サザンとかは曲を覚えたら一応普通にカラオケで歌えてたのに、『兄弟船』は全然歌えなくて。どうやって歌ってるのかなって、節回しとか自分でいろいろ試してみて、そんなことをしているうちに、徐々に徐々に演歌にのめりこんでいって。

で、『夢芝居』とか『北酒場』とかそういう曲は聞いたことあったんです。小さい頃、関内の飲み屋さんに母に連れられて行ってたんですね。そこで聞いたんだと思うんですけど。

話はそれますけど、うちの母は、飲み屋さんから帰るときに僕を忘れて置いてっちゃうような、そんな感じの母親なんですね(笑)。それでこの前、キャンペーンで関内のいろんなお店に行ったときに、たまたまそのときのお店にも伺って、マスターがそのことを覚えててくださったんですよ。「あれ、あんときの置いてかれた子どもじゃないの!?」なんて話になって(笑)。

---あはは。長嶋監督みたいですね。音楽の話に戻りますと、本格的に演歌を始めて2年くらいで大会で優勝しちゃったんですね。
水木:まぁ、才能があったんでしょうねー(笑)。いや、もちろん冗談ですけど。大会に出始めの頃は、自信満々だったんですけど、結果はさんざんで、何の賞ももらえなくて。「あ、このままじゃいけないな」って、そこから一生懸命やりましたね。当時はほんとに猛特訓してました。

演歌の世界って皆さん、始めるのが早くて、16歳ぐらいでデビューする方なんて、特に女性では多いんですね。だから、僕なんかは圧倒的に遅い。大学出てから始めた、なんていうのは結構特殊なケースだと思うんですよ。だけど僕はそれはそれでいいと思ってるんです。
水木昌平フォトアルバム1
今年の3月に野毛のにぎわい座で開かれた「にぎわい座 歌謡ショー」にゲスト出演した際のひとコマです。
水木昌平オンステージ 水木昌平オンステージ
ブルーのジャケットに身を包んで熱唱
客席まで降りていくサービスも
水木昌平オンステージ 客席
客席でも熱唱
ハッピ、Tシャツ、うちわにペンライトで盛り上がる客席
サイン会 後援会の方と一緒に
終演後はサイン会
後援会の方たちに囲まれて、記念撮影
新曲は秋にリリース予定です
水木昌平さん---初めて買ったCDは覚えてますか?
水木:覚えてますよ。小学校6年生ぐらいのときに同時に3枚くらい買ったんですけど、1枚はアニメのドラゴンボールZの主題歌だった『CHA-LA HEAD-CHA-LA』(ちゃーらへっちゃら)ですね。これ、いまだに僕のカラオケの十八番(おはこ)のひとつです。あとの2枚は、とんねるずの『情けねえ』と、槇原敬之の『どんなときも。』ですね。この3枚は忘れられないですね。

---小学生、中学生、高校生の頃に好きだった音楽は?
水木:間違いなくサザンオールスターズですね。ほんとに大好きで、年越しライブとかも行ってましたもん。

僕ね、ほんとはサザンオールスターズに入りたかったんですよ(笑)。横の方でいいんでメンバーにしてくれないかなって思ってました(笑)。桑田さんがとにかくすごい好きで。すごい才能ですよね。作詞も作曲もして、歌もうたって、ライブでのMCもすごい面白いんですよ。どれくらい面白いかっていうと、ご本人がライブで言ってましたけど、ドリフターズから荒井注さんが抜けたときに桑田さんが誘われたらしいですよ(笑)。もうすごい多才ですよね。

---今でもサザンの歌をうたうことありますか?
水木:しょっちゅうですよ。ギターを始めたのもサザンの影響なんです。サザンの曲は全曲知ってますね。分厚いサザンの全曲集があるんですけど、それを買って全部やったりしました。カラオケ無くても、自分でギター弾いて歌えますね。「愛してやまない」っていう感じです。

サザン以外のポップスも歌いますよ。2年前くらいに並木の船だまりっていう場所でやる、花火大会もあるような大きいお祭りがあるじゃないですか。2,000人くらいお客さんが来るんですよね。それに呼んで頂いたことがあって。そのときに予定は20分だったのが急遽倍の40分やってくれっていう話になりまして。で、「若者向けの曲もできれば」っていうご希望があったのでTUBEの曲とか歌ったらすごい気持ち良かったんですよね。

---目標とする歌手は?
水木:たくさんいますね。自分より秀でてる方たちってたくさんいらっしゃいますから、ひとつひとつ見習えるところを見習って、学んでいきたいと思っています。そういう学んだことの集大成を作り上げて、歌っていけたらいいなと思っています。

---磯子区出身に美空ひばりさんがいますね?
水木:ひばりさんは僕は映像でしか拝見したことがないでんすけど、もう特別な世界があるんですよね。伊藤雪彦先生に聞いた話なんですけど、ひばりさんと伊藤先生が共演したときに、『佐渡情話』っていう入りが難しい曲があるんですけど、その入りの、ほんと0コンマ何秒の間(ま)のためにリハーサルを何十回もやり直したらしくて。それぐらい詰めて詰めて、入り込んで。

あとね、僕も経験あるんですけど、人間て普通は歌の最中に泣いちゃうと声が出なくなるんですよ。でも、ひばりさんはしっかり歌ってるんですよね。だからもう凄いところだらけで、震えが来るし、鳥肌が立ちますよね。映像で見てるだけでも。

スナップ
野路由紀子さん(左)、本郷直樹さん(右)とのスナップ
---ほかに気になる方はいますか?
水木:特にステージ面がすごいなぁと思う方なんですけど、鏡五郎さんていう60歳ぐらいの歌手の方なんですね。関西の方なんですけど、デビューして40年下積みして、去年初めてNHKに出演したっていう。いまもうめちゃめちゃ人気ですけど。

その鏡さんが、もっのすごくいいステージされます。ぐっとくるものがありますね。「ステージってこうじゃなきゃいけないな」って思います。笑いあり、涙ありで、構成がうまいんですよね、バランスがすごくいい。笑いのツボもわかってらっしゃるし、そうかと思うと『瞼の母』とかそういう曲をマイク1本で歌いこんで、そのときはお客様も皆さん泣いてましたもんね。ああいう舞台できたら本当にいいなぁって。目標ですね。

---ところで、水木さんの新曲の予定は?
水木:今年、リリースを予定しています。いま作曲家の伊藤雪彦先生にお世話になってまして。すごく有名な先生で、大月みやこさんの『白い海峡』(1992)でレコード大賞をとった先生なんですよ。八代亜紀さんの『おんな港町』も伊藤先生の作品です。
で、その先生のもとで今レッスンしてまして、新曲も書いていただく予定です。

---いつ頃になりそうですか?
水木:秋頃を予定しています。日にちはまだ決まってないんですけど、決まったらそこからリリースまでは結構早いです。オケ録って、レコーディングして、あっという間に出てしまうので。曲のタイトルはまだ決まってないんですが、ただ作詞・結城忍先生、作曲・伊藤雪彦先生っていうのは決まってます。

---歌手としての今後の抱負を教えてください。
水木:歌手デビューする前の目標がいくつかあったんですけど、まず「デビューすること」。ふたつめが「売れること。紅白歌合戦とかに出場すること」。みっつめが「最終的には自分の納得いく歌をうたいたい」。今でも「うまいねぇ」って誉めて頂けることがあってとてもありがたいんですが、自分では納得できていない部分がいっぱいあるんですね。それと、歌がうまいだけでもダメだと思うんですね。人間性も大事。そういう面も磨きつつ、大きくなっていきたいなと思っています。

作曲家の伊藤雪彦先生に初めてお会いした頃に、「とにかく誰にも負けない歌をうたいたい」と言ったんですけれども、「昌平、わかった。それには歌だけじゃダメだ、まず人間を磨きなさい」っておっしゃられて「人に人格あり、芸に風格あり」っていう言葉を頂いたんです。まさにそのとおりだなと。

それと、杉田劇場とか、磯子公会堂とかで、誰でも入れて参加できる、歌謡祭、カラオケ大会みたいなものをやりたいなぁと思ってます。それとですね、どうもね、僕も一応プロだっていうことだからなのか、呼ぶのを遠慮される方が多いみたいなんですけど、もうお世話になった方もいっぱいいますし、少しでもそういう形で地域に恩返しをしていきたいと思ってますので、地域のイベントなどにも気軽に声をかけて欲しいです。いつか、紅白に出られるような歌手になって、それでいて、いつでも気軽に地元に帰って来て歌えるっていうような、そういう理想像がありますね。
水木昌平フォトアルバム2
オープン直後の花水木にお邪魔したときの写真です。
花水木にて 花水木にて
カウンター席。この日は水木さんもバーテンダー
こちらはテーブル席
花水木にて 花水木にて
リクエストに応えて、花水木でも熱唱
グローバル野木社長も熱唱
2年ぐらい、新杉田のやきとり工房でアルバイトしてました
水木昌平さん---水木さんはずっと磯子なんですよね。
水木:はい。生まれも育ちも、いま住んでるのも磯子区の磯子です。

---幼稚園は?
水木:港南区の若桐幼稚園です。森中の少し先ですね。

---小学校は?
水木:小・中・高と金沢八景の関東学院六浦ですね。

---大学が北里大学ですね。
水木:そうですね。理学部です。4年のときには、生体動力学研究所っていうところにいたんですけど。

---で、その研究所で何をやってたんですか?
水木:北里は医療系の大学なので、物理といっても対象はあくまで医療の領域なんですね。医療を物理的に解いていく、というような。それで、研究所ではセンサーの研究をしてました。血糖値を測るセンサーですね。血糖値って、普通は採血して測るんですけど、血を採らずに血糖値を測れるセンサーを作れないか、みたいなことを研究してました。いや、研究してるフリをしてましたね(笑)。自分でも何やってたかちょっとよくわかんなかったです(笑)。

---大学を出て歌手になるまではアルバイトということでしたが、どんなところで?
最初は関内のパチンコ屋ですね。パチンコ屋さんてインカムっていうヘッドホンとマイクが一体になった装置を頭につけるじゃないですか。で、僕は耳が片方、まったく聞こえないんで、インカムを使うことができなくて、それでちょっと続けられないなってことで辞めて。

で、その後、新杉田駅の近くにある「やきとり工房」の店長さんに誘って頂いて、2年ぐらい、やきとり工房でアルバイトしてましたね。

結城忍さんの色紙
作詞家・結城忍さんの色紙
---生まれ育った磯子区の雰囲気はどう感じていますか?
水木:この仕事を始めてからほんとにいろんな方たち、お店の方なんかも含めて知り合いになって思ってるのは、もっともっと下町っぽい、あったかい雰囲気になったらいいなぁっていつも思ってますね。そのキッカケに僕がなれたらいいなぁって。

---愛着はありますか?
水木:はい、とても。

僕、いま仕事で全国に行くじゃないですか。今ね、むしろ地方のほうが最近できた建物が多くて綺麗なんですよ。例えばこの前は高松に行ってきたんですけど、高松のほうが磯子よりずっと都会的な雰囲気があるんです。でも磯子に帰ってくると、この雰囲気が落ち着くんですよね。なんでかわからないんですけど。磯子に帰ってきて、「あぁ、ようやく仕事が終わったな、ツアー終わったな」っていう感じになるんですよね。おだやかで住みやすい地域ですよね。

---オススメの場所は?
水木:僕ね、磯子フレンズっていう少年サッカーのチームでコーチやってたんですよ。そこで練習によく使ってたのが、森東小学校のBグランド。通称「森B」っていうんですけど、そこはすごくサッカーしやすいですね。森東小といえば、去年の終わりごろかな、森東小の記念式典があって、そのときも地元の歌手だっていうことで呼んで頂いたんですよ。嬉しかったです。
あと今年の磯子まつりの会場になってる新杉田の東芝グランド。あそこはもう庭みたいなもんです。
あ、どっちも「サッカーにオススメの場所」になってしまいました(笑)。

---では、オススメのお店は?
水木:僕の知ってるお店で逆に「ここはやめた方がいいよ」っていうお店はないですね。本当に気兼ねなく入れるお店がそろってると思いますね。磯子区は安心なお店が多いですよね。どこのお店に入っても、お店の方にいい人が多いですね。初めて入るお店だと「冷たくされるんじゃないか」とか不安になると思うんですけど、磯子区はそういう心配がいらないお店が多いですね。特に僕のポスターを貼ってくださってるお店は間違いないと思います!(笑)。

---関係ありませんが、磯子マガジンはご覧になってくださることがありますか?
水木:はい。仕事で四国に行ってるときに浜マーケットが火事になったんですけど、ホテルのパソコンで磯子マガジンを見て状況を確認できました。遠くにいても確認できるのが嬉しいですね。
演歌の水木さんとロックな野木社長の関係
水木昌平さんを磯子マガジンに紹介してくださったのはグローバルの野木社長。現役の歌手である水木さんと、元ミュージシャンの野木社長とはやはり通じ合うものがあるようで、普段から親しいお付き合いをされているとのこと。
この日のインタビューも野木社長にあたたかく見守られながらのものでした。というわけで、ここで水木さんと野木社長のミニ対談もお送りします。

---野木社長、水木さんについて磯子マガジンの読者に紹介してください。
野木:昌平ちゃんは演歌歌手なんだけども、たとえばサザンオールスターズとか、そういうジャンルの歌もすごくうまい。で、演歌でも、たとえば思いっきりのド演歌でも、他の演歌歌手にない演歌なんですよ。僕から見ると、ポップスと演歌の融合っていう感じで、不思議な魅力があると思う。演歌なんだけど、今の若い人の感性の味が入ってて。そこが売りなんじゃないかな。

水木:そうですね、そこを追求していきたいと自分でも思ってます。ポップスを歌うときには、演歌歌手の歌うポップスじゃなくて、きっちりポップスとして歌いたい。そういう線引きをしたいですね。だから、野木社長のような、ロックの第一線で活躍してた方にそんな風に言って頂けるのはすごく嬉しいです。それから、たとえば20代の子が、同世代の僕が演歌を歌うことによって演歌を聞いてくれるようになったりするんですよ。「あの歌、聴きたいです、あの演歌」なんて言ってくれるのが嬉しいですねぇ。「あぁ、演歌歌手をやってて良かったな」って思います。若い人も必ず演歌を聞く土壌を心のどこかに持ってるんですよね。だから、一生懸命に伝えていけば若い世代にも必ず伝わりますね。

---お二人の出会いは?
水木:ある盆踊り大会で僕が歌ったことがあるんですけど、音響が音楽用のものではなかったんですね。状況的にもちろん仕方なかったんですけど、音響機材が、場内放送用のものだったんです。

野木:で、たまたま僕もその場にいてね、そんな環境だったから、テープで流れる演奏は昌平ちゃんにはちゃんと聞こえてないはずなんだけど、歌が全然ずれないの。それを見てビックリしてね、「すごいね、君」って声をかけたの。それがキッカケですね。

水木:そんな風に専門的な話題で声をかけてもらうことはあんまり無かったんで、新鮮でしたね。で、二人とも、舞台でのこだわりとか、音へのこだわりとか、「音楽をやってる・やってた人間」ならではのものがあって、そういうところですごく話が合って。以来、とても仲良くさせて頂いています。

僕は基本的に一人で歌うんで、野木社長がやってたような何人かで活動するバンドが羨ましいんですよ。逆に歌い手のバックでドラムを叩いていた野木社長にしてみたら、「俺が前に出たい」っていうところがあると思うんですね。そのバランスもちょうどいいというか、お互いの意見も聞けて。

野木:人の人生はすべて人と人との出会いで決まるんだという意味の、「人生は邂逅の一語にあり」っていう僕の好きな言葉があるんですね。初めて会ったときから、30年来の知り合いだったかのような出会いがある、それを大切にしなさいっていうことなんだよね。まさしく昌平ちゃんなんかはそんな感じですよ。付き合いは、まだそんな長くないもんね。

水木:もうほんと、ここ一年くらいですね。ここのお店(花水木)をオープンするときは音響面で野木社長に相談に乗って頂きました。

野木:絶対に歌いやすいから。普通のお店とどこが違うかっていうと低音ですね。低音の響きが違います。

水木:僕がステージでやってるような音響と遜色ないつくりになってますので、磯子マガジンの読者の方も、ぜひ一度カラオケを歌いに来てください。僕も月に2回ぐらいは、ミニコンサートを開こうと思っています。

というわけで、水木さんのお母さんが経営する「花水木」をご紹介します。
店 名 花水木(はなみずき)
駐車場の奥にある、青い看板の店が花水木
所在地 磯子区磯子区森1−2−1 同潤会マンション1階
電 話 (045)752−2287
営業時間 18:00〜24:00
定休日 定休日:日・月・祝
(定休日でも事前の予約があればご相談に応じます)
席 数 30
設 備 通信カラオケ DAMステーション
料 金 セット料(1人)1,500円、ドリンク500円〜、
ボトル2,000円〜、カラオケ1,000円 (歌い放題)

磯子マガジン トップへ戻る
copyright (c) 2007 Isogo Magazine all rights reserved.